上田正樹「歌のために風呂桶1つと2万円で家出、ホームレス生活を経て50年、やっと今スタートラインに」
◆R&Bに国境はない 長く活動をしている中で、世界中で演奏させていただいています。そこで感じるのは、やはり一流の音楽は国境や言語の壁を簡単にこえるものだということ。会ったその日にその場でセッションすることができる。これまでアメリカ、アフリカ、アジアのいろんな国を渡り歩いてきました。 ミシシッピでは、本場のR&Bに触れましたし、その源流を求めてアフリカにも行きました。彼らは言語の前にリズムや踊りがあって、生まれながらに裏拍のリズムを刻むことができる。インドネシアでは、しばらく暮らして現地の歌姫REZAと歌った「Forever Peace」が、現地のヒットチャートで17週連続1位を記録しました。韓国のプロデューサーからもオファーをいただいて、僕は韓国でもアルバムデビューしているんです。シングル「Hands of Time」は運よく視聴率30%以上のドラマ『ゴースト』の主題歌に使っていただき、デビューアルバムは20万枚のセールスでした。韓国語でも歌えと言われて、なかなか発音がうまくいかず何十回も録り直したことも。そっちは結局、リリースされず没になってしまいましたけど。 一方で聞いたことのない町に行ってライブをして、お客さんが全く集まらないような経験もしました。それも、今ではいい思い出です。 一緒にこの度のライブで歌ってくれるYoshie.Nは、タイの3000人くらい収容できるライブハウスで熱唱して満員のお客さんに涙を流させていました。彼女は日本を代表するブルースの歌手ですが、タイでは有名というわけではありません。音楽は有名、無名に関わらず、一流であればそこにいる人たちの心を動かすことができる。タイでYoshie.Nがそのことを証明しているのを目の前にして、僕は参観に来た父親みたいに感無量でした。
◆文化になるまで絶対死なないで歌い続けるのが僕の役割 18歳のあの日から、音楽以上にやっていて楽しいことには出会えませんでした。辛い時もありましたけど、歌いたい意欲は高まるばかりです。離婚して今は一人暮らしなので、夜中にガバッと起き出してジャンジャンとピアノを弾くこともできる。旋律が降りてくる瞬間は時間も場所も選ばなくて、夜中だったり出かけている時だったりする。居酒屋だったら慌てて箸袋に書いてみたり(笑)。100曲くらいのプロットがあるので、まずはそれを仕上げていく作業もしなくてはいけません。 9月27日に行うライブは、かつてはライバルだった人間にゲスト出演してもらいます。今となっては最高の仲間、ウエスト・ロード・ブルース・バンドのボーカル、永井“ホトケ”隆とギタリストの山岸潤史です。僕のバンド、サウス・トゥ・サウスからは有山じゅんじが出てくれます。どちらのバンドも盟友が何人か亡くなってしまいました。今は、彼らの思いも全部背負ってのライブだし、音楽活動だと思っています。今元気でいる仲間たちの生存確認を兼ねて毎年ライブをやる約束をしました。この仲間たちとこれから日本だけでなく、世界も回って行きたい。 健康に気遣ってる方ではないのですが、生まれつき肝臓が丈夫らしいんです。毎年の検診で、「肝臓の数値いいですね」って言われるとついついその後たくさん飲んでしまう。逆に検診を受けない方がいいかなと思うくらいです。(笑) そして何より、ライブをやると、元気になる。今回もそうですけど、僕のライブのメンバーは世界中で通用する超一流ばかり。だからこそ今回のライブではR&Bの間口を広くして、いろんな人に聴いてもらいたい。僕はR&Bっていうジャンルの音楽が文化になるところまで見届けたいんです。R&Bを知らないという人も、難しく考えず、ぜひこの機会に僕らのライブに足を運んでみてください。 (構成=岡宗真由子、撮影=奥西義和)
上田正樹
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