側近も記者も想定外だった 川勝平太前静岡県知事が突然辞職表明 地元紙記者が2024年の政治を振り返る(上)
「逆ギレ辞任」ボディーブローは2年前の辞職勧告決議
市川: 発言の翌日4月2日に報道したのは読売新聞だけだった。読売新聞が県版に、それほど大きくはない囲み記事を出し、その報道をきっかけにテレビも報道するようになって、ネットメディア、SNSを含めて大炎上した。 1日に発言があり、2日の朝刊で読売が報じて、2日夕方の囲み取材で辞任を表明したが、そのとき「県に抗議の電話が殺到してますよ?」と問われたときに、川勝さんが「読売新聞のせいだと思っています」と発言した。そのときはかなりマスコミを批判した。いわゆる「切り取り報道」が今社会的に問題になっているが、そうした発言が出るほど、川勝さんはおそらく2日の時点では、”それほど自分は悪いことをしていないが、メディアがここまで言うなら僕が悪いんでしょう”、辞めますと。僕は当時出演したラジオ番組で「逆ギレ辞任」と命名した。それくらい酷い辞任だと思った。 このとき、もう一つポイントだったのは、今兵庫県でも話題の知事不信任決議案。静岡県では2023年、1票足りずに否決された。それは先ほどの「コシヒカリ発言」をきっかけに、川勝さんがボーナスと給料を返上するという話をしたにも関わらず、1年7か月経ったときにも、ボーナスを返上していなかった。NHKが報道し、また(ネット上で)大炎上して、それをきっかけに県議会自民党会派が中心となって知事不信任決議案を提出して、1票足りずに否決されたということがあった。 そのさらに前の2021年、「コシヒカリ発言」をした当時は、県議会が辞職勧告決議案を出した。不信任決議案は出席議員が3分の2以上で、出席議員の4分の3以上の賛成で可決されるというハードルの高い議案。一方、辞職勧告決議案は過半数の賛成で可決される。 当時、県議会を取材すると、否決されてもいいから不信任決議案を出すべきだという派と、いや否決されるなら意味がないので可決される辞職勧告決議案を出すべきだという意見があった。ただ、辞職勧告決議案は法的拘束力がなく、県議会が辞職を突きつけているという事実しか残らない。議会内で意見が割れて、最終的には県議会最大会派の自民改革会議(自民党会派)は辞職勧告決議案を可決する選択をしたという経緯があった。 今回、川勝さんが2024年に辞めるときに「県議会から辞職を突きつけられている身分だから」ともおっしゃった。これは2023年の不信任決議案のことではない。2021年に辞職勧告決議を可決されたことが、ボディーブローのように川勝さんに効いていた。 さらに言うと、2023年の不信任決議案が可決された後の知事定例記者会見で、川勝さんが「次に問題発言があったら辞めます」と明言した。今回の辞任については、その二つがボディブローとなって効いたというのが僕の考えだ。 宮嶋: 川勝さんは会見で、リニア問題に決着がついたことを辞める建前にしていた。ある県職員によると、JR東海がリニア開業時期を「2027年以降」に変更させたのは自分(川勝さん)が主張を通した結果であり、区切りがついたからもういつ辞めてもいいという気持ちが、(4月2日の時点で)すでにあったのではないかと。 市川: 川勝さんが辞意を表明した翌々日の4月4日から、静岡新聞が連載「衝撃 知事辞意表明」を3回掲載した。リニア問題に触れた3回目の冒頭は「みなさん、見ましたか。私たちの勝ちです」という川勝さんの発言で始まる。「勝ちです」とは、JR東海が27年のリニア開業は無理だと言ったことに対して、「私たちは勝った」んだと。ただ、この連載にも書いてあるが、開業延期は本来の「勝ち」ではない。静岡県が求めていたのは、大井川の水問題の解決であり、リニア開業を遅らせることではなかった。それなのに、目的が「リニア工事の環境への影響の最小化」ではなく、「開業を遅らせること」になってしまっていたのではないかと、幹部職員の見方を紹介した。この辺りは象徴的な話だったと思う。 川勝さんは4月2日の囲み取材では、マスコミ批判を繰り広げて辞めると言い、その後の正式な会見の場では、リニア問題にひと区切りがついたから辞めると言ったが、後者はやはり後付けだったと思う。 (2024年12月6日にYouTubeチャンネル「SBSnews6」で配信した「フジヤマ6 静岡新聞記者のここだけの話 政治を総括2024#1」を基に再編集しました)
静岡放送(SBS)