「障害者は子どもを産むな」「障害者は社会にいらない存在」映画『月』があぶりだす、誰の心の中にも存在する優生思想
2016年、相模原市にある障害者施設「津久井やまゆり園」で、入所者19人が殺害され、26人が重軽傷を負うという大惨事が起きました。この事件を起こした犯人はこの施設に勤務していた元職員でした。犯人は「重度・重複障害者を養うには莫大なお金と時間が奪われる」「意思疎通の取れない障害者が社会にとって迷惑だと思ったから」などと述べ、重度の障害者は社会からいなくなるべきという考えのもと、凶行に及んだのでした。この事件を題材にした辺見庸氏の小説『月』(KADOKAWA)が映画化され、10月13日から公開されています。
不都合なことは隠蔽される
この映画の舞台は森の奥にある重度の障害者達が暮らす障害者施設。文章が書けなくなった作家の堂島洋子(宮沢りえ)はこの障害者施設で職員として働き始めます。施設内では、職員が入所者を殴ったり、部屋に閉じ込めたりといった虐待が横行しています。洋子が担当するきーちゃんと呼ばれる入所者は、目が見えず耳も聞こえないため、意思疎通ができないと言われています。食事も胃ろうによって摂っており、10年間もの間、ベッドの上で横たわったまま生活しているといいます。きーちゃんは、最初からその状態なのではなく、施設に来るまでは歩けていたけど、縛り付けられるうちに歩けなくなり、さらに目も少し見えていたけど、窓を塞がれたことで、徐々に目も見えなくなったことが分かります。 洋子は施設内での虐待の事実を施設長に伝えますが、まともにとりあってもらえません。洋子の同僚の坪内陽子(二階堂ふみ)は言います。この施設で起きていることは、全て隠蔽される。不都合なことは隠蔽されるのがこの社会。ここで正常でいられるほうが異常なのだ、と。
障害者を殺すことと、中絶することは同じなのか
そんな中でも、さとくん(磯村勇斗)という職員は、唯一と言っていいほど、前向きに仕事に取り組んでいます。入所者のために紙芝居を手作りして読み聞かせをしたり、「きーちゃんに月を見せてあげたい」と部屋の壁に月の形に切りぬいた紙を貼ったり。でも、そんなさとくんの前向きな努力も、他の職員からは無駄だ、余計なことをするなと言われてしまいます。さとくんは、後に多くの入所者を殺害するという凶行に及ぶことになります。 洋子は以前、息子のしょういちを3歳で病気で亡くしています。しょういちは病気により寝たきりで意思疎通ができず、胃ろうで栄養を摂っていました。洋子は息子を失った悲しみから立ち直れない中、自分が妊娠したことを知ります。40歳を過ぎてからの妊娠ということもあり、再び子どもに異常が見つからないか不安に駆られる洋子は、また同じ思いをしたくないという気持ちから、夫に妊娠の事実を告げずに中絶を選択しようとします。妊娠したことを陽子には打ち明けるのですが、夫とさとくん、陽子と4人で飲んでいるときに、陽子が洋子の妊娠と、産むか決めかねている事実を話してしまいます。 ある日、さとくんが洋子に言います。「僕は洋子さんと同じ考えです」と。 自分が持つ「無駄なものは排除しないといけない」という考えが洋子と同じだ、というのです。子どもが異常を持って生まれることを恐れて中絶しようとした洋子と、障害者を殺そうとする自分の考えは同じだ、という意味なのでした。「人を傷つけるのはいけない」と諭す洋子にさとくんは言い放ちます。 「人って何ですか」 心がないなら生きる意味がない、生きる価値がない。 さとくんの中では、しゃべれない、意思疎通ができない重度障害者には心がない。だから人間ではないし、だから殺してもいい、という論理が成り立っています。心がない障害者を殺すのは、虫を殺すのと同じだと言うのです。だから実際さとくんは入所者を殺すとき、しゃべれるかどうかを、手にかける判断基準にしました。