「ウクライナ侵略を考える~『大国』の視線を超えて」著者、加藤直樹氏に聞く(2) 日本の平和運動の無自覚な「大国主義」
国際政治学者ミアシャイマーが一時期、左派リベラルといった位置の人たちの間でもてはやされたのも驚きました。ミアシャイマーは世界の各地域を牛耳る大国間の力学に純化して国際政治を理解する学者です。ウクライナはアメリカにとってのキューバと同じだ、ロシアの勢力圏なのだからアメリカは関わるな――という議論がなぜ歓迎されるのか。当惑しました。 「代理戦争」という懐かしい言葉も大手を振って復活しました。冷戦期には、たとえばベトナム戦争なども米ソの代理戦争として見られていたんですよね。そこにはベトナム民衆が求めた民族自決への思いへの理解は薄かった。ただ、ベトナムのときと違うのは、当時、「代理戦争」を強調していたのは主に保守派で、今回は進歩派だということですが。 「代理戦争」論は、一見、戦場となる小国の人びとに同情しているように見えて、じつは大国の視線に同化して、彼らののっぴきならない主体性を動因として見ようとしない議論です。「当事者であるウクライナの人たちは冷静にものが見えなくなっているだろうから、外から介入して停戦させるべきだ」といったSNSの書き込みもいくつも見ました。なんという傲慢さだろう、何事であれ、当事者の運命を当事者以外の誰が決められるというのかと怒りを覚えました。
こうした言説は、ロシアや欧米主要国、そして日本といった歴史的「大国」の人びとの間に根強く存在する無自覚な大国主義の表れだと思います。それは左右を問わないものです。また、日本の平和主義の危うさも露呈したと思っています。 侵略するロシアと、侵略に抵抗するウクライナを、いずれも鉄砲や大砲を撃っているからといって「戦争反対」でひとくくりに批判対象にしてしまう。また、「ロシアの侵略が悪いのは言うまでもないが~」などと、「侵略」という問題を軽くまたぎこして、「もっと大事な議論」に進んでしまう。これもとても問題だと思います。 「ジェノサイドが悪いのは言うまでもないが」「拷問が悪いのは言うまでもないが」と置き換えてみれば、こうした言説がいかに「侵略」という問題を軽く考えているかが分かります。あるいは、本音ではロシアの侵攻を侵略とは思っていない場合もあるでしょう。そうであればそう書かないのは不誠実です。