「夢をかなえるためになぜ私は全力を尽くさなかった」終末患者に聞いた「人生の後悔」5選「ふるさとに帰ればよかった…」
1 やりたいことをやらなかったこと
やりたいことをやらないと、最期に後悔します。やりたいことは、さっさとやるべきです。 「人生はあっという間であった」とは、私の接した患者さんたちの少なからずが言い残された言葉です。そのため、やりたいことはどんどんやらないと「あっという間に」人生の最期の日が来てしまいます。 日本人はうつによる自殺の多さからも透けて見えますが、我慢に我慢を重ねる性質がしばしばあります。そして、見えない鎖に縛られすぎていることも少なくないように感じています。 我慢し続けて良いことなどこれっぽっちもないというのが私の考えです。「あっという間に」人生の最期の日が来るという事実を直視すれば、度を越した我慢がいかに不適切なものかが理解されます。 私もたくさんの方の最期を見届けてきましたが、「生涯を愛に生きるため、新たな伴侶と生きた女性」「都会での暮らしを捨てて、高原で第二の人生を自然とともに生きることを実践した男性」「最期の瞬間まで、自分の作品に心血を注ぎ込んだ男性」は間違いなく輝いていました。死に顔は穏やかで、後悔などほとんどなかったのではないかと思われます。 後悔しない生き方とは、自分を取り戻すことです。意識せずとも、自分というものを体いっぱいに表現している子どものようになれば、人生の楽しみを取り戻し、後悔することも少ないでしょう。 言うは易く行うは難しかもしれませんが、その殻や鎖から少しだけ自由になることから始めてみましょう。
2 ふるさとに帰らなかったこと
死が近くなると、人は昔を思い出すものです。亡くなる1週間前ごろから「終末期せん妄」といって意識が変容して、時間や場所の感覚が曖昧になることがあります。そのとき、昔のことを語りだす人がいます。意識はしなくても、人の心の奥底に眠っていた幼少期のことや、かつて住んでいた場所、そこでともに生きた人の記憶が顔を出すのです。 そのためでしょうか、死が迫ると、ふるさとに帰りたい、親の墓参りをしたいという人も少なくありません。しかし、病状によってはすでに故郷に帰ることが難しくなってしまっていることもあります。そんなとき、人は後悔せずにはいられません。故郷に行きたいならば、健康なうちにするべきです。体が動かなくなってしまってからでは遅いのです。 私の知っている患者さんに余命が1、2か月以内とも思えるほど衰弱されてから、里帰りを実行した人たちがいます。それをきっかけに生命力を取り戻して何と1年近く生きた人、故郷で幸せな最期を迎えた人もいます。それらの方の場合は、故郷に行くことが人生にプラスの影響を与えたように見えました。 ただ、誰もが同じことをできるわけではありません。死期が迫ってから後悔しないように、早めに計画・実行していくとよいでしょう。