引退・稲葉の人生を変えたノムさんのひとこと
北海道日ハムの稲葉篤紀(42)が、明日5日、札幌ドームで行われる楽天戦で引退試合に臨む。当日は、試合前のシートノックで、選手全員が「41」の背番号入りのユニホームを着用するなど各種の引退イベントが用意されているが、実は、20年前のドラフトにひとつのドラマがあった。「あの時、近鉄に行っていればどうなっていたのかな」 そう回顧するのは、当時、ヤクルトのスカウト部長だった片岡宏雄氏だ。1994年11月18日、高輪プリンスで開催されたドラフト会議。このドラフト前に片岡氏は、近鉄の名スカウトだった故・河西俊雄氏から、こんな話を持ちかけられていた。 「おい! 法政大の稲葉をどう思う?」 「ええんやないですか。中距離打者でしょうが、バッティングは巧いですよ。うちもリストアップしています」 「そうか。ヤクルトは取る気があるんか?」 「それはなんとも(笑)。でも3位以内で残っていたら行きますよ」 丁々発止のスカウトの世界では、ベテランスカウト同士のこういった駆け引きは日常茶飯事。腹の探りあいである。片岡氏も、稲葉の名前はひっかかっていた。ドラフト前の編成会議で、野村克也監督が、「大学生では、法政の左打者が一番センスがある」という話をしていたからだ。野村監督の息子である克則氏は、明大の3年。息子のプレーを見るため、度々、神宮に足を運んでいたノムさんは目の前で、法大の稲葉が内角球を見事に腕をたたんでライトスタンドへ放り込んだ本塁打を見たことがあって、そのバッティングに惚れ込んでいたのである。 だが、当時のヤクルトのドラフト戦略は、「即戦力の投手と守備力の高い即戦力内野手」だった。野村克也監督も片岡氏に「ローテーションに入れそうなピッチャーと、池山(隆寛)も、ボチボチ厳しくなってきたから、守るだけはすぐ使えるショートはおらんか」と要望を出していた。1位は、北川哲也(日産自動車※通算4勝で4年で退団)を逆指名で抑え、2位には、のちに2000本安打を記録することになる名手、宮本慎也(プリンスホテル)を指名した。