引退・稲葉の人生を変えたノムさんのひとこと
片岡氏は「稲葉は近鉄か。縁がなかったか」と考えたが、近鉄は、1位で北陽の元祖二刀流、嘉勢敏弘を指名し、オリックスと競合してクジを外すと、桜井商の田中宏和投手を外れ1位で指名。2位には稲葉でなく、青学のサイドハンド、中川隆治を逆指名したのである。ドラフト会議では、どこの誰がどの順位で消えていくかもわからないため、各球団は、1位候補、2位候補、3位候補……とあらかじめ指名選手に順列をつけておく。それでも迷うケースがあるので、当日のテーブル上には、監督以下、フロントの責任者も入って、緊急会議を開き、その場で予定になかった選手の指名を決めることも少なくない。 3位指名を前にして、ノムさんが、そのテーブル上で口を開いた。 「あの法政の左を取れよ!」 稲葉のことである。 ウエーバー制が敷かれているため、3位指名の順位は、はからずもヤクルトが近鉄のひとつ前。片岡氏は「近鉄さんに悪いな」と思いながらも稲葉を指名した。「ドラフトが終わってから河西さんが『おまえは、ええかげんやな。俺から情報を取って先に指名するとは』と文句を言ってくるので、『1、2位でいかないとわからんですよと言っておいたでしょう。河西さんのほうがええかげんやないですか』と答えたら、笑っていた。稲葉のバッティングの巧さとセンスは、2位指名した宮本の遥かに上だった(笑)。そして努力の人だった。スカウトは練習での姿勢を見るが、常に全力疾走をするし、いつ見てもバットを振っていた。今だからの話ではなく、野村監督も自分で求めた手前、試合で使うだろうし、怪我さえなければ、将来、2000本を打つような打者に育つという予感はあったよ」 プロ入り初打席で本塁打デビューした。規定打席に達しなかったが、そのルーキーイヤーに3割をクリア、チームの日本一に貢献した。2年目にはレギュラーを獲得して、打率.310、11本塁打、54打点の成績を残した。1998年から3年間は怪我に苦しんだが、7年目の2001年に復活。打率.311、25本、90打点でベストナインに選ばれ、この年、横浜戦でサイクル安打も記録している。 引退会見で、稲葉は「強いヤクルトの時代に野球ができて幸せだった。20年もできたのは、野村さんが、この世界に入れてくれて、野球をゼロから教えていただいたおかげ」と感謝の意を表したが、もしドラフト会議で、ノムさんの一言がなく、近鉄に入団していたならば、稲葉は、どんな野球人生を送っていたのだろうか。