ART-SCHOOLのサポートに抜擢 ニトロデイ、Cruyff やぎひろみが模索する“ギタリスト”としての生き方
【連載:個として輝くサポートミュージシャン】やぎひろみ 2022年8月にLIQUIDROOMで開催された復活ライブから、ART-SCHOOLのサポートギタリストを務めているやぎひろみ。当時まだ20代前半だった彼女の抜擢は驚きをもって迎えられたが、それまでニトロデイとして90年代譲りのオルタナティブなサウンドを鳴らしていたことを知る人であれば、彼女の抜擢は十分に納得いくものであり、実際に今ではバンドにとっての重要なピースとなっている。現在ニトロデイは活動休止中だが、やぎはCruyffとLarks Louというふたつのバンドで活動し、特にCruyffの最新曲「Halcyon」はDAWをベースに構築された約9分に及ぶサイケデリックジャムを聴かせる曲で、エモ~オルタナティブロックのリバイバルが起きている現在のライブハウスシーンの中で、Cruyffがその一歩先を示したという意味で重要曲だったと言えるだろう。ART-SCHOOLの活動を通じて見えてきた景色と、自身の今までとこれからについて、やぎに語ってもらった。(金子厚武) 【撮り下ろし写真】ART-SCHOOLのサポートに抜擢 ギタリスト やぎひろみ ■ART-SCHOOLでの役割「私の音はあえて汚くしようと意識している」 ――まずはART-SCHOOLにサポートで参加することになった経緯を教えてください。 やぎひろみ(以下、やぎ):初めてのライブが2022年の8月で、その前の4月ぐらいに連絡がありました。私は大学生まで実家にいたんですけど、音楽関係の就職先が決まって、ひとり暮らしも始めて、すごくウキウキした感じでいたら、InstagramのDMで、中尾(憲太郎)さんから「ART-SCHOOLが復活するんですけど、サポートしませんか?」みたいな連絡が来て。急だったので、最初は「どうしよう?」という感じだったんですけど、「とりあえず、やってみます」みたいな返事をして、それが今でも続いてる感じなんですよね。 ――ART-SCHOOLとの交流はどの程度あったのでしょうか? やぎ:ちゃんとお会いしたのはニトロデイでオープニングアクトをやらせてもらったときが初めてだと思います(2017年の新代田FEVER)。中尾さんはその後にもニトロデイのライブを観て、私のことを覚えてくれてたらしくて。 ――では、すごく交流があったというわけではない? やぎ:全然なかったです。なので、正直最初は「急だな」と思いました(笑)。あとで聞いた話だと、他にも何人かサポートの候補は出ていたらしいんですけど、中尾さんは「若い人をフックアップしたい」みたいな気持ちがあって、それで私に声をかけてくれたようです。でも、最初は怖すぎるなと思いました。歴史が長いバンドなので。 ーーやぎさん自身もともとART-SCHOOLが好きだったわけですよね。それこそ、ニトロデイでは「水の中のナイフ」をカバーしたりもしていたし。 やぎ:そうですね。高校生の頃から聴いていたので、「これはどういうことだ?」と思って……今でも思ってるんですけど。 ーー実際にスタジオに入るようになってからは、どんなことが印象に残っていますか? やぎ:初めてスタジオに入ったときは「どんな感じなんだろう?」と思って、結構ドキドキしていたんですけど、あんまり会話がなくて……天気の話をしたりして(笑)。お互いシャイな感じというか、よく考えたら20歳くらい違うわけで、そりゃあ何を話していいかわからないよなって。その感じは今もあんまり変わってないかもしれないです。 ーーART-SCHOOLらしいといえばらしいかもしれない(笑)。 やぎ:あと私はバンドをサポートすること自体ART-SCHOOLが初めてだったので、「譜面とかあるのかな?」みたいな、何が普通なのかもわからなくて。とりあえず曲を覚えて、コードをとって、弾けるようにはしておいたんですけど、ギターが3本になるから、どこまで自由にやっていいのかは結構悩みました。最初にスタジオに入って、合わせたときから、「いいんじゃない?」と言ってくれたんですけど、「……これはどっちだ?」みたいな(笑)。 ーー本当にいいと思ったのか、気を遣ってくれてるのか(笑)。 やぎ:でもやってるうちに細かいことを気にしてもしょうがないなと思って、好きにやってみようと思うようになりましたね。 ーーもちろん、キャリアがだいぶ上のバンドに急に入ることになったわけで、最初は戸惑いも多かったと思いますけど、でもメンバーだったり、周りのスタッフさんも含めて、5人のART-SCHOOLに「いいね」と言ってくれる人たちがいて、励まされながら続けてきた? やぎ:ギターを褒めてもらえるのももちろん嬉しいし、「華があるね」みたいに言ってもらえるのも嬉しいというか。自分はいわゆるサポートミュージシャンみたいな、何でもできるタイプではないので、ギター以外の部分でも私がいる意味を感じてもらえるならそれも嬉しいです。 ーー演奏やサウンドメイクではどんな部分を意識していますか? やぎ:他のメンバーから「こうしてくれ」って言われることはあんまりなくて……「もっと言ってほしいな」と思うこともあるんですけど(笑)、個人的にサウンドの面で意識しているのは、それこそ初めてART-SCHOOLと対バンしたときに、すごくハイファイな音だと思ったんですよ。私がずっと聴いてた『BOYS DON’T CRY』(2004年にリリースされたART-SCHOOLのライブ盤)の音とは違うなって。言葉が難しいんですけど、すごくきれいな音だなと思ったので、私はそこに合わせに行くんじゃなくて、ジャンクな音を出すのを心がけています。 ――ART-SCHOOLとしても、メンバー個人でも、フェスや大きな会場でライブをする中で、当然音色は変わってきているでしょうからね。 やぎ:最近は2000年代の日本のロックのリバイバルみたいなものがあって、ART-SCHOOLがクラブでかかったりすることもあるんですけど、当時の音は今よりダーティで、もっとグランジっぽさを感じて。なので、今のART-SCHOOLにもそういう要素がもっとあったらいいんじゃないかと思って、私の音はあえて汚くしようと意識してやっている部分はありますね。 ■田渕ひさ子、山本精一への憧れ……やぎひろみが描く“理想のギタリスト像” ーーそもそもやぎさんがギターを手にしたのは、いつどういうきっかけだったんですか。 やぎ:最初にギターを買ったのは高校1年のときで、軽音楽部に入りました。小中学生のときからバンドが好きで、なんとなくやってみたいなと思って、じゃあギターかなって始めて……なぜか今こうなっています(笑)。 ーーギタリストとして最初に影響を受けたのは? やぎ:最初はやっぱり(田渕)ひさ子さんですね。 ーーそれこそライブハウスで知り合った小室(ぺい)くんたちとNUMBER GIRLの話で意気投合して、それでニトロデイが始まってるわけですよね。最初に買ったギターもジャズマスターですか? やぎ:いや、最初は初心者セットで、ストラト(キャスター)でした。で、ひさ子さんのことを知って、「こんな人がいるんだ」と思って、急いでジャズマスターを買いに行きました。 ーーひさ子さんのギターのどこに魅力を感じましたか? やぎ:女性っていうのがすごく大きかったなと、今となっては思います。同じ匂いがするというか、かっこつけてなくて、素のままでやっている感じがいいなと思った気がします。 ーーニトロデイを始めてから、田渕さんとは実際に会いましたか? やぎ:toddleとニトロデイで対バンをしたことがあって(2019年に行われたニトロデイの自主企画『ヤングマシン3号』に、toddleとGateballersが出演)、それからひさ子さんのソロライブに私が行って、スッと帰ったり、NUMBER GIRLの解散ライブにも遊びに行ったんですけど……そのときも恥ずかしくて挨拶はできなかったです(笑)。 ーー田渕さん以降で、「この人にはすごく影響を受けた」というギタリストはいますか? やぎ:山本精一さんですかね。 ーー今日着てるTシャツも想い出波止場(山本がメンバーとして参加するバンド)だし、自分で宅録をやるようになるきっかけも山本精一さんの「なぞなぞ」だったそうですが、山本さんのことはいつどうやって知ったんですか? やぎ:高校を卒業して、音楽大学のポップス専攻に行ったんですけど、何もしてなかったというか、本当に友達ができなくて、ただただ図書館で映画を観ていたんですね。で、勉強をしたくない言い訳でもあるんですけど、「逆のことをやります」みたいな。もともとそういう人間でもあるので、それでポップスじゃなくて、ノイズとかそっちの方を聴いていて、それで山本さんのことも知ったのかな。 ーーギタリストとしての山本さんにはどんな印象を持っていますか? やぎ:言葉が難しいんですけど、あの“何でもない音”を出せる人は他にいないというか。私はそもそも「ギタリスト」という意識がなくて、今の自分にはギターが一番心地いいから弾いてる、みたいな感じなんです。だから、あの何でもない感じがいいというか……何でもないわけではないんですけど(笑)。 ーー確かに、Bandcampで聴くことのできるソロアルバム(2023年リリースの『MeV』)を聴いても、いわゆる「ギタリストのアルバム」という感じはあまりしないですよね。もちろん、ギターも鳴ってはいるんだけど。 やぎ:「自分は何なんだろう?」って、最近そういうことをすごく考えます。「ギタリスト」と呼ばれている人たちを見ると、「自分にはちょっと無理です」みたいな感じというか……私はたぶん、バンドの中で鳴ってるギターがすごく好きなんです。それこそニトロデイのときもよくミックスで「目立ちたくないです」と話をしていて、でもリードギターだから目立たなきゃいけないみたいな、すごく矛盾があって。バンドの音に馴染んでいたい、概念的なアンビエンスっぽく鳴っていたい。音でも立ち位置でも、そうありたいんですよね。 ーー今の話は最近のCruyffの音楽性にも通じるように思いますが、Cruyffももともとは“90年代のオルタナティブ”をキーワードにスタートしているわけですよね。 やぎ:そうですね。それこそNUMBER GIRL、bloodthirsty butchersとか。でも私とボーカル&ギターの渡邊が一番よく話してるのはフィッシュマンズのことかな。 ーー別のインタビューでボストンのインディレーベル Run for Cover Recordsの話をしてましたけど(※1)、ジャンルに規定されないような部分は、そこからの影響も大きい? やぎ:大きいと思います。それこそああいうムードというか、ニトロデイほどポップじゃなくてもよくて、もうちょっとラフな、現行の海外のバンドみたいなことをやりたいなと思ってました。