他の選手と全く違う球が投げられたのは、たった一言がきっかけ・藤川球児さん プロ野球のレジェンド「名球会」連続インタビュー(43)
プロ野球のレジェンドに現役時代や、その後の活動を語ってもらう連続インタビュー「名球会よもやま話」。第43回は藤川球児さん。日米通算61勝、164ホールド、245セーブを挙げ、元巨人の上原浩治さんとともに初めて特例での名球会入りが認められました。「火の玉」と称された剛速球の誕生には、ある指導者の存在が不可欠だったと言います。(共同通信=栗林英一郎) 【写真】「甲子園は異次元」阪神の〝レジェンド〟マートンさんが語った愛にあふれる言葉 球場完成100周年
▽投手分業制の中で評価される、新しい役回りをつくれた 名球会入りするためにプレーをしていたという意識はありませんでした。成績的に規定の数字(200勝や250セーブ)に届いていないというよりは、目指していなかったのが正直なところでして。自分の中で実際は目標にしていなかったものだったんですけれども、時代の移り変わりとともに、名球会自体が、その流れに合わせていただいたと思うんです。 ファンの人たちに、応援していた選手が名球会に入れる選手だったと認めてもらえることは、非常に名誉に感じます。今の自分は普通の人間なんですけれども、藤川球児っていう野球選手を、僕自身も改めてリスペクトできました。戦っている時は、そういった認識は全くなかったです。すごいんだとか、そういう感覚はあまり持たないようにやってましたので。 投手分業制の中で、数字だけではない部分で多大な貢献をした、その評価が名球会に値するという新しい役回りを僕と上原浩治さんでつくれました。今後の選手たちに向けても(メンバー入りを目指す)きっかけになるのは大事だと思いました。現役引退から3年にもなって、ああいう機会(2023年5月のブレザー贈呈セレモニー)を甲子園球場で設けていただいた。そこにヤクルトの高津臣吾監督、佐々木主浩さんや(救援投手としての)僕の生みの親である阪神の岡田彰布監督までおられた。プロ野球界全体として(入会を)非常に重く受け止めていただいていることが、あの映像を通しても伝わったのではないでしょうか。それは球界に対する貢献の一つじゃないかなと、僕自身は思っているんです。