他の選手と全く違う球が投げられたのは、たった一言がきっかけ・藤川球児さん プロ野球のレジェンド「名球会」連続インタビュー(43)
最初は頭で理解してなかったんだけれども、体に染み込ませていくと劇的な変化が起こりました。非常に単純だったんですけれども、やっていたことを横回転から縦回転に変えるだけで、僕の場合は良かった。(投球の)メカニックを変えたことで、飛躍的なパフォーマンスの向上につながったんです。本当に5、6割の力で投げても、みんなにびっくりされるような、人と全く違う球が投げられました。 理論的には、その考え方が正解だと確信してますね。今になってみると、その理論を自分で言語化できるようになり、悩んでいる後輩らに伝えられるようになった。山口さんには全身で感謝してるんです。僕には伝道師としての役割もありますから。山口さんの指導を正解だと思ってるので、そのままやらせていただいている。「山口さん2号」として、しっかり次の世代に同じ教えをしようかなと思ってます。 なぜ現役を長くできたかと言われると、山口さんと出会って負担のないフォームを見つけることができたっていうことですかね。正しい体の使い方をすれば、本当に疲労感なく投げられるからです。体の連動性という意味で、全身を使って投げることができたので。無理のない投げ方ができたっていうのは、名球会に入っている選手全員に共通すると思うんです。
▽いくらプロ選手から指導されても球の握り方は変えなかった 僕は少年野球でショートとピッチャーでした。体がそんなに大きくなかったけど、もともと肩が強かったんですよ。何でか分かんないですけど、いわゆる地肩が強いって言われました。ボールを遠くに投げるのは非常に得意でした。指先に加える力が一番大事なわけですよ、ピシッと投げる時に。(人さし指と中指をくっつける)握り方は少年野球からずっと、その握りでした。当時、野球教室で来ていただいたプロ選手に教えてもらった時に「君、指をくっつけ過ぎだ」って、指1本分を開けるようにって言われたんですけど、それで投げてもうまくいかないんですよ。明らかに指をくっつけて投げる方のボールが良くてですね。言われた握り方をすると、なぜかボールに力が加わらないから気持ち悪くって、無視してやっていました。 いくらプロから言われても従わなかったのは、結構良かったかもしれない。変な意味じゃなくて、自分の中での正解ってあるんですよ、やっぱり。じゃあ山口さんの指導はなぜ聞けたんだって言われると、分かんないです。だから、そこは素直に聞けるタイミングで、非常に数奇な運命というか、測れないですよね。
× × × 藤川 球児氏(ふじかわ・きゅうじ)高知商高から1999年にドラフト1位で阪神入団。快速球を武器に2005、06年は最優秀中継ぎ投手、07、11年はセーブ王に輝く。13年から米大リーグのカブスなどでプレー。独立リーグ高知を経て、16年に阪神へ復帰。20年の引退までにプロ野球通算60勝38敗243セーブ163ホールド、米大リーグ通算1勝1敗2セーブ1ホールド。80年7月21日生まれの44歳。高知県出身。