他の選手と全く違う球が投げられたのは、たった一言がきっかけ・藤川球児さん プロ野球のレジェンド「名球会」連続インタビュー(43)
▽中途半端のレッテルを貼られていた (05年に岡田監督の下でセットアッパーとして飛躍したのは)いわゆる適材適所と言いますか、監督が戦う布陣を配置する際、この選手はここ(リリーフ陣)で使えるんじゃないかと。ある意味で言うと、将棋の駒ですよね。自分の手駒として考えた時に、藤川球児っていう駒はこちらの方が生きるんじゃないかって。例えば先発で年間に6、7勝の可能性しかない現状であれば、違う使い方をすればチームに貢献できる、そして優勝に導く時に、すごく駒として強いんじゃないかという考えで使っていただいたと思うんですよ。だから育てたいとか(先発とは違う役割で)勝負してみないかっていう言い方ではなかった。僕たちは実際、駒だったわけで、そういう意味では非常に働きやすかったんですよ。仮に結果が出なくて打たれたとしても、どちらかと言えば、使っているのは監督だし、大丈夫だろうって。 僕は先発時代に立ち上がりがものすごく良くて、5回1安打とか、そういうパターンのピッチャーだったんですよ。今なら6回、100球、ナイスピッチングで交代できますけど、当時は完投できなければ駄目で、僕は常に6、7回ぐらいまででした。だったら終盤に据えると高確率で抑えるわけじゃないですか。そういう使われ方だったと今も記憶してます。
その頃は選手育成っていう言葉はなくてですね。松坂大輔がいたりとかしたので、高校生でも入団してすぐに活躍しなければ「外れ」みたいな感じでした。なかなか1軍では駄目だな、中途半端だなっていうレッテルを貼られていたところだったので、本当に働ける場所をいただいた意識が強かったですね。 ▽僕には伝道師の役割がある 細かくは言えないですけど、僕はどうしても(投球の際に)体が横に回っちゃうっていう言い方をされていた。横回転で投げるのでコントロールはいいけれど、パワーをかなりロスして、やっぱり故障につながりやすい投げ方だと。(プロ6年目の)04年2月のキャンプ中に故障して「またけがをしたか。もう体が厳しいか」って球団の編成会議で、よく言われていたみたいです。 それで2軍に行った時に山口高志コーチ(1970年代後半に阪急で活躍した剛速球右腕)から、たった一言「球児、この投げ方やったら、この右足ちゃうか」って。右足の使い方さえ変えれば、あとは体が勝手に連動してくると。やっぱり僕の場合は軸足でした。バットで球を打つような回転で投げちゃいけない。横回転で球を投げること自体が、理論からは外れていると。言葉での表現が難しいんですけれどね。全く僕の頭になかった教えをいただいたというところですね。