「若返りに成功した五輪」トルシエジャパンの通訳ダバディーさんが見たパリ五輪の現実 パラはバリアフリーに課題、2人の日本人選手を称賛
熱狂に包まれたパリ五輪・パラリンピックが閉幕して10月8日で1カ月。サッカーの2002年ワールドカップ日韓大会で日本を指揮したフィリップ・トルシエ監督を通訳兼アシスタントとして支えたフローラン・ダバディーさん(49)は、生まれ育った芸術の都で開かれたスポーツの祭典をどう見たのか―。 【写真】気分はオリンピアン?夜のパリを駆け巡るぜいたくな時間。 五輪男女マラソンの合間に開かれた異例の市民ラン。参加した記者が感じたこと
1世紀ぶり3度目のパリ五輪は「古い五輪と新しい五輪のターニングポイントで若返りに成功した。まだ希望がある。無気力とも言われる若い世代を会場に引き出した」と総括。一方、パリでは初開催のパラリンピックには「パラスポーツへの理解とともに地下鉄など公共交通機関のバリアフリー化が遅れており、問題を浮き彫りにした」と課題を指摘した。(共同通信=田村崇仁) ▽新聞も売り上げ絶好調 小津安二郎監督の映画「東京物語」に感銘を受けて大学で日本文化や文学を学んだ異色の経歴を生かし、1998年に映画雑誌の編集者として来日したダバディーさん。近年はキャスターや作家としても活躍するほか、母国フランスの地元スポーツ紙「レキップ」の日本特派員を務める。父親のジャンルーさんは多くの映画を手がけた著名な脚本家として知られ、母親のマリーさんもインテリア誌の編集長を経験した芸術系の一家で育った。 大会前はテロの懸念や政治の混乱が取り沙汰されたが、フランスは競泳男子のレオン・マルシャンや柔道男子のテディ・リネールらが活躍して金メダル16個、メダル総数64個と躍進。予想を大きく超えた盛り上がりに「マルシャンは100年に1人の宇宙人。ひきこもり的なフランスの若者を触発し、混沌とする移民社会で国民が一致団結して燃えた大会だった」と驚きを持って振り返る。
「街全体を五輪公園に」(イダルゴ・パリ市長)と宣言し、都市型スポーツを集めたコンコルド広場が若年層の象徴的な場所になったと強調し「若返りしようという雰囲気がすごく感じられた。五輪最多記録を更新したチケット販売だけでなく、国営テレビの視聴率は驚異的で、レキップを含めて紙媒体も売り上げが絶好調だった。購買者は写真が大きくきれいで、永久保存版として、歴史的な瞬間を取っておきたいという衝動がある」と述べた。 地元紙パリジャンでは、テロの懸念や高額チケットなど負の要素が多かったスポーツの祭典を避けてバカンスでパリから旅立った市民から「後悔」の声も次々と伝えられた。 ▽ハイライトは開会式 ダバディーさんは「スポーツと文化の融合」を自身のライフワークとしており、セーヌ川での斬新な開会式をパリ五輪のハイライトに挙げた。 派手な女装の「ドラァグクイーン」らが登場してレオナルド・ダビンチの名画「最後の晩餐」をパロディー化したとして極右政治家やキリスト教関連団体から批判もあったが、移民社会の多様性と団結の象徴として西アフリカ・マリ系の人気歌手アヤ・ナカムラさんら新しい世代が熱唱。芸術監督のトマ・ジョリさんもまだ40代で「若い彼らが自分たちの信念を貫いて、パリは芸術の街であることを印象付けてくれたのが一番うれしかった。好みはそれぞれだけれど、フランス一流の文学界、映画界、音楽界が結集し、多民族国家であるフランスを祝いつつ、100年ぶりの五輪は次世代のためのものだと主張している演出だった」と評価した。