「頭がいい人」ほど前例にとらわれる当然の事情、「失われた30年」にもつながっている明治時代の官僚システム
そうすると上に立つ人の言うことをよく聞いて、試験勉強の成績がいい秀才がトップに立つことになる。その典型が陸軍士官学校出身の東條英機だ。 改めて指導者としての東條の実績を見てみると、たいていの場合は調停役を務めるばかりで、何か独自に発案し決行するということがほとんどない。 秀才タイプの人間は前例のあることならば前例にならってうまく対応できるが、前例がないことが起きたときにはどうしようもなくなってしまうのだ。
これは今の日本とまったく同じで、前例のない未曾有の事態を迎えたときにどのように対処するべきか、創造的な手段を考えつくことができない。試験での正解ばかりを追求してきたから、どうしても前例主義に陥ってしまう。 そうして敗戦となった日本は、戦争という行為への反省こそ口にすることはあっても、教育については教育勅語こそ廃止したが、試験を優先する人材育成のシステム自体への反省は一切なく、明治から続いているやり方を令和の今も続けている。
■優秀な子供たちが海外の大学へ 日本が凋落した最大の原因は、横並び主義で、ちょっと変わった、才能のある人間の頭を叩いて潰してきたことだと、私は考えている。 ある意味で特殊な人間を引き立てる思考や組織のシステムがあれば、“失われた30年”はなかったかもしれない。 みんなが同じことをやっているなかで、一部の特殊な人間がGAFAM的なものを生み出していた可能性はあっただろう。 しかし今ではそういう才能ある人たちは、もう日本にいても仕方がないと考え、外国へ逃げてしまう傾向が顕著だ。
だから日本はますますダメになってしまう可能性が高い。ここから再建するとなると、なかなか難しいと言わざるを得ない。 私立の偏差値の高い中学や高校では、東京大学や京都大学、早稲田、慶應という国内の“一流大学”を狙わないで、2024年度世界大学ランキングのトップ3(オックスフォード大学=英、スタンフォード大学、マサチューセッツ工科大学=ともに米)や、アメリカの東部のエリート大学とされるアイビーリーグ(ブラウン大学、コロンビア大学、コーネル大学、ダートマス大学、ハーバード大学、ペンシルベニア大学、プリンストン大学、イェール大学)など、海外の大学への進学を狙う生徒も増えてきているようだ。