伊東勤氏が日本シリーズ”49分間の中断”について明かす「流れを変えるポイントになるので、僕は絶対引けなかった」
西武黄金期の正捕手として活躍し、西武・ロッテで監督を務めた伊東勤氏が公式YouTube「伊東勤の110チャンネル」を更新。 ここでは視聴者から寄せられた質問に答えた。ここで挙がった最初の質問が、2004年日本シリーズで49分間中断した出来事について。 この年西武の監督としてリーグ2位からプレーオフを勝ち上がり、就任一年目にしてパ・リーグ優勝に導いた伊東氏。 セ・リーグでは同じく就任一年目でリーグ制覇を成し遂げた落合博満監督率いる中日と日本シリーズで対戦した。 ”事件”は早くも第一戦で起きた。 5回裏1死一塁の場面で、打者・谷繁元信が打った打球はホームベース付近で止まる捕前ゴロに。 それを捕球した捕手・野田浩輔が二塁へ送球し、遊撃手・中島裕之はすぐさま一塁へと転送したため併殺が成立したかに見えた。 当時の橘高淳球審は野田が谷繁にタッチしたとして、アウトを宣告。ただ、その場合二塁はタッチプレーとなるが、ここではフォースプレーとして二塁塁審もアウトを宣告していた。 このプレーに落合監督が抗議すると、審判団は「二塁上のプレーにはタッチが必要」とし、併殺ではなく2死二塁から試合を再開するとした。 伊東氏はチャンネル内ではまず「野田は空タッチだったんですよ」とし、「でも後ろから見ている球審がタッチをしているように見えたのでアウトと判定しちゃったんですよ」と西武側の判断が正しかったと解説した。 審判団は協議後に西武ベンチ側への説得が続いたが、長引くうちに途中、「伊東監督から抗議があり試合を中断しています」と説明されていた。 これについても伊東氏は「僕はこのプレーに対しては一切抗議していないんですよ」と、あくまで中日側からのアクションであったと説明。 その後も伊東氏らは説得を受け続け、かつそれに応じない姿勢を見せたことから試合がさらに遅延したため、「僕らが悪者みたいになった」という。 しかし、それでも「ゲームの流れを変えるポイントだと思ったので、僕は絶対引けなかった」と当時を振り返りながら、ここでは書ききれないほどの裏話を明かした。
まるスポ編集部