「100%全力で愛を与えたい」ギャル作家・献鹿狸太朗×ギャルタレント・湯上響花『みんなを嫌いマン』に込めたもの
このほど新刊『みんなを嫌いマン』を刊行されたZ世代のギャル作家・献鹿狸太朗さん。その素顔に迫るべく、同世代の本好きで献鹿マニアのギャルタレント・湯上響花さんとの対談を敢行。後編では作品世界により接近、描かれたダークな感情の出どころやいかにーー。 【写真】「100%全力で愛を与えたい」 献鹿狸太朗×湯上響花
民衆の愚かさとか薄情さとか、伝わらなさみたいなものをすごく書きたい
──主人公の至がSNSを中心にした罵詈雑言にどんどん疲弊していく姿が印象的でした。 献鹿:たとえばスポーツ選手ってあんまり人間扱いされてないところありますよね。野球とかでも、点取ったら持ち上げて、点取られたら人間じゃないぐらい叩く。「人間なんだけどな」って思いますよね。 ──ご自分にもそういう経験がある? 献鹿:まだ誹謗中傷みたいなのにあってはないですけど、「向こうに悪気ないけど、こっちとしては嬉しくない」みたいなことを表現したいというのはありました。例えばみん守のファン・りい守ちゃんの(注:みん守の熱心なファンで、みん守に助けてもらう存在になりたいがために、あえて危険な戦闘地域まで追っかけする)、悪気はないんだけどめっちゃ薄情な感じみたいな。そういうのって普通のバッシングより傷つくんですよね。私の漫画の絵をアイコンにしてめっちゃDMとかくれてた子が、急に別のアイコンになったりすると、「お前、新しくそれにはまったな。もう私への愛は終わったのか」って思うし。恋愛関係では嫉妬しないけど、ファンには超嫉妬しちゃいます。 湯上:わかる。そういうのありますよね。 献鹿:モデルさんも女の子ファン多いですもんね。 ──「自分は安全な場所にいるはず」という思い込みの無神経さも吐き捨てるように書いてますね。 献鹿:そうですね。別にそれが超悪いとも思ってないし、当たり前の感覚だとも思いますけど、なんか民衆の愚かさとか薄情さとか、伝わらなさみたいなものをすごく書きたいっていうのは常にあるんです。『赤泥棒』の中の「奇食のダボハゼ」でも書いたし。ただ普段からこういうことを気にしてる人は、「自分はこうならないように気をつけようと思いました」って言ってくれますけど、実際にやってる人は「こんな奴いるよなー」って(笑)。 ──至は時々すごく遠い目線から自分を俯瞰して自己分析します。ご自分にもそんなところはある? 献鹿:それって私が自分の作品について「こういう話になったんだ」って、ちょっと違う人格から見てるのと重なるかもしれないですね。 ──なんか心理学とか勉強されたのかなって。 献鹿:いえ、大学院は行きましたけど心理学は関係なくて、めちゃめちゃビジネス系を学びました。理由は、私はこの先おそらく会社勤めをしないので、会社員の気持ちがわからないのは自分にとってコンプレックスになると思ったから。院には働きながら来てる人たちも多いし、 実際の企業と一緒にやる授業なんかもあって、なんか「大人のキッザニア」みたいで、私は「会社員体験」として行ってました。