「書は人なり」 書と人格は不離一体のものか 産経国際書会名誉理事長 風岡五城 書の力
書とその人の人格とはどんな関係があるのか、実のところよくわからない。中国・唐代の顔真卿(がん・しんけい)の場合などは、正に人書一体の感があるのは否めないが、とてもそうだとは思えない例がいくらでもある。 『書を語る』(二玄社)には詩人、小説家、評論家、画家など、書家ではない人の立場から、それぞれ思い思いに書を語って興味深い。これらの人たちは大まかに言って「書は人なり」派の人が多い。 「書は人なり、という。言い古された言葉だが、それだけに否定し難いものがある。現代のように、ワープロがはやって、日本人のキカイ好きと相まって、もう筆記すること自体が、一笑に付されるようなことになってくると、私は、ますます、その意味の深さと味わいを考えるようになっている。」(早乙女貢) 「おそらく書とそれを書いた人との関係は、美術における作品と作者の関係とは違っていると思う。もっと直接的である。書と人との関係は不離一体、どうにもできぬぎりぎりのものであろう。」(井上靖) 視点を変えてもう一つ。唐代の書論家であった孫過庭はその著『書譜』の中で「通会の際、人書倶に老ゆ」という言葉を残している。書の勉強のいろいろな段階を経て本当に書がわかってくると、人も書も老成して書に滋味が出るという。これなどは長年書をやってきた者なら、かく在りたいと願うのももっともであろう。 書は単に技術であると言い切れないことだけは確かなようである。(産経国際書会名誉理事長 風岡五城) 産経国際書会は「書」のユネスコ無形文化遺産登録を推進しております。