1983年『スチュワーデス物語』で爆発的人気! 客室乗務員はどのようにして「おもてなしの達人」になったのか? 戦後の日本を彩った「憧れの職業」の進化とは
『スチュワーデス物語』大ヒット
こうしたなか、1983(昭和58)年10月~1984年3月にかけてTBS系列で放送され、爆発的な人気となったのが『スチュワーデス物語』である。堀ちえみ演じる主人公がスチュワーデスを目指すこの物語では、日本航空の全面協力のもとで「訓練センター」での訓練が描かれている。 「ドジでノロマ」な主人公がスチュワーデスを目指す物語は、 「支離滅裂な筋立て、突拍子もないセリフ、学芸会的な演技と、普通ならマイナスになる要素ばかりなのに、それがかえって魅力になる不思議なドラマ」(本書151ページに引用されている新聞への視聴者の投稿) として人気となり、スチュワーデスという職業のイメージをつくり上げていった。「憧れの自分」になるための職業としてスチュワーデスが位置づけられたのだ。 『スチュワーデス物語』の放送終了後、新人研修のために客室乗務員を講師として迎える動きが出てくる。1985年には日本航空が「JALコーディネーションサービス」を設立し、客室乗務員を新人研修などに派遣する事業を本格的に始めた。 1970年代には大量採用の影響もあって「マナー不足」が指摘された客室乗務員だったが、「訓練センター」で厳しい訓練が行われるようになり、また、それが世間に知られることによって、「マナーの達人」としての地位を築いていくことなる。 1982年に元JALの客室乗務員だった奥谷禮子が設立したザ・アールも、元客室乗務員をマナーの専門家として派遣することで業績を伸ばした。奥谷はマナーの極意として自分の感性を磨くことを説いており、 「「自分磨き」の達人としてのスチュワーデス」 というイメージもつくられていった。
CA導入とジェンダーの変化
1988(昭和63)年に全日空がスチュワーデスの呼称をCAに変更する。 スチュワーデスがジェンダーを固定化する女性名詞であり、それを避けるために導入されたわけだが、海外で一般的だったフライト・アテンダントでもキャビン・クルーでもなく、キャビン・アテンダントという和製英語的な名称となった。 当初、キャビン・アテンダントという呼称は定着せず、例えば、バブルの崩壊とともに登場した時給制の客室乗務員も「アルバイト・スチュワーデス問題」として論じられた。 しかし、2006(平成18)年にフジテレビ系列で放送された『アテンションプリーズ』などをきっかけにCAの呼称も次第に定着し、「おもてなしの達人」としてのイメージも形成されていく。 不景気によって、花形の職業としての「スチュワーデス」は消えたが、「マナーや感性に優れた人」としてのイメージはCAになっても生き残ったのだ。 本書は、客室乗務員の歴史をたどりながら、日本社会の変化や、客室乗務員を目指した若者の変化、女性への視線の変化など、さまざまなことを教えてくれる内容になっている。
山下ゆ(書評ブロガー)