「特攻なんかやめちゃいなさいよ。ぶつかったら死ぬんだよ」…「特攻反対」を公言する飛曹長が死を覚悟した「特攻隊員」にかけたことば
再度始まる特攻隊の戦い
緊急呼集でフィリピンに飛んで4ヵ月、風呂に入ることもままならない前線にずっといれば髪も髭も伸び放題、垢じみていても仕方がない。中島は、つい最近まで自分もそんな前線にいたことなど忘れたかのように説教を続けた。到着早々、中島の話を長々と、立ったまま聞かされた搭乗員たちはうんざりした。 翌日から、彼らは交代で特攻待機に入ることを命ぜられた。台湾では、もはや特攻隊員の志願募集は行なわれず、フィリピンから帰った戦闘機乗りは自動的に玉井司令の指揮下に置かれ、いままで特攻隊員ではなかった者までもが、否応なしに特攻編成に組み込まれることになる。 そして台湾に脱出してきた戦闘機搭乗員の多くは新編された特攻専門部隊、第二〇五海軍航空隊に編入され、二〇一空から引き続き司令に就任した玉井中佐のもと、次に米軍が来るであろう沖縄戦に備えることになった。二〇五空の特攻隊は「大義隊」と命じられ、その攻撃目標は敵機動部隊である。 中島中佐は、第三四三海軍航空隊飛行長として内地に転勤していった。三四三空には、フィリピンで戦った搭乗員が多く配属されている。2月9日、愛媛県の松山基地に中島が着任したとき、「また特攻隊になるのか!」と搭乗員のあいだに動揺が走ったと、同隊飛行長の志賀淑雄少佐や隊員の幾人かが、私のインタビューに証言している。 そして4月1日、米軍の大部隊が沖縄本島に上陸。ここから特攻隊の新たな戦いが始まる。(第2章終)
神立 尚紀(カメラマン・ノンフィクション作家)