「特攻なんかやめちゃいなさいよ。ぶつかったら死ぬんだよ」…「特攻反対」を公言する飛曹長が死を覚悟した「特攻隊員」にかけたことば
溢れる想い
1月25日、小田原大佐ほか内地への転勤者を乗せた輸送機は、高雄基地を飛び立った。ところがほどなく、その飛行機は、台湾を出外れたあたりで緊急電信を打ったまま、消息を絶ってしまう。敵機に襲われたのか、エンジン故障なのかもわからない。2日後の夕方、小田原大佐の遺体が新竹に近い海岸に打ち上げられたとの連絡が司令部に入った。 門司が夜行の汽車に乗って新竹に着くと、小田原はもう荼毘にふされて小さな白木の箱になっていた。やさしかった小田原のことをあれこれ思い出し、涙があふれた。門司は小田原の遺骨を抱いて、新竹基地が用意してくれた艦攻に乗って、高雄基地に戻った。小崗山の司令部の洞窟に入ると、大西中将が、門司が胸に持っている白布の箱に一礼して、 「参謀長が先に死のうとは思わなかった」 と、独り言のように言った。 角田和男少尉たち多くの二〇一空特攻隊員が、輸送機で台湾の高雄基地に到着したのは、1月26日早朝のことだった。搭乗員たちは長い行軍に疲れ、服装も飛行服の者、第三種軍装の者、飛行帽の者、略帽の者など雑多で、なかには無帽の者もいる。 彼らは高雄に着陸するとさっそく、トラックの荷台に乗せられて台南基地に送られた。これでしばらくは休息できるだろう、と誰もが思っていた。 当直室前に整列し、到着を報告する。すると、部屋から出てきたのは、驚いたことに二〇一空の玉井司令と中島飛行長である。搭乗員たちはみな、悪夢を見ているのかと思ったという。誰もが、玉井司令、中島飛行長は、搭乗員を帰したあとは、陸戦を指揮するためピナツボ山麓にこもって苦労しているものとばかり思っていたのだ。 あとに残ったはずの司令、飛行長が先に帰って、真新しい第三種軍装に身を固めて目の前に現れたのだから、みんなが驚くのも無理はない。たちまち中島の厳しい叱声がとぶ。 「お前たちのその服装態度は何ごとだ、それでも特攻隊員か!軍人が長髪にするなどもってのほかである。すぐ丸坊主にせよ。特攻隊員は軍人の鑑でなければならぬ」