大量虐殺に悲惨な格差…こんな時代だからこそ人類学が必要とされる「納得の理由」
「人類学」という言葉を聞いて、どんなイメージを思い浮かべるだろう。聞いたことはあるけれど何をやっているのかわからない、という人も多いのではないだろうか。『はじめての人類学』では、この学問が生まれて100年の歴史を一掴みにできる「人類学のツボ」を紹介している。 【画像】なぜ人類は「近親相姦」を固く禁じているのか ※本記事は奥野克巳『はじめての人類学』から抜粋・編集したものです。
絶望の時代にこそ
今世紀を代表する人類学者、ティム・インゴルドによれば、人類学とは、人間を探究する学でも、異文化理解の学でもありません。人類学のやり方は、哲学のように、もうこの世にはいない哲学者の古典的なテキストを読解するのではなくて、世界の真っただ中に分け入って、人々「とともに」考えることなのです。 インゴルドは、大量虐殺に至る衝突、貧富の格差、環境汚染など、世界が臨界点に達している今日ほど、人類学が必要とされる時代はないと言います。私たちは、いかに生きるべきなのか。この難問を探ることが人類の任務であり、人類学が取り組むべき課題だと宣言します。 そのために人類学がなすべきこととは、「知識」をこれ以上付け足すことではありません。世界とは、研究対象ではなく研究の環境です。フィールドワークをつうじて、人類学は「知恵」を得るのです。インゴルドは以下のように述べています。 知識は私たちの心を安定させ、不安を振り払ってくれる。知恵は私たちをぐらつかせ、不安にする。知識は武装し、統制する。知恵は武装解除し、降参する。(『人類学とは何か』15頁) 「知識」とはモノを固定したり説明したりする時に用いられるものです。「知識」は、それを得た人に力を与えてくれます。しかし「知識」の要塞に立てこもると、周りで起きていることに注意を払わなくなります。 それに対して、「知恵」とは、世界の中に飛び込んで、そこで起きていることに晒される危険を冒すことから開かれてくるものです。「知恵」は、注意を払ったり気にかけるために他者を目の前に連れてくるように、「知識」からなる世界をぐらつかせるのです。 私たちには「知識」に劣らず「知恵」が必要なのです。しかし今日、そのバランスは、「知識」に大きく傾いてしまっています。人類学者の仕事は、科学によって伝えられる「知識」に「知恵」を調和させていくことだとインゴルドは述べています。