大量虐殺に悲惨な格差…こんな時代だからこそ人類学が必要とされる「納得の理由」
「人類学」とは何か
人類学はこれまで、教育のない、無知と片づけられてしまうような「未開」の人々からフィールドで積極的に学ぼうとしてきました。彼らの「知恵」から学ぶべきものはたくさんあります。 しかし残念なことに、フィールドの人々は、情報提供者としてのみ位置づけられることがとても多いとインゴルドは言います。人類学者は、フィールドで、現象そのものをデータに変える瞬間に、「彼らの言うことが何を語っているのか」ということにしか関心がなくなってしまうからです。人類学者は帰国して、人々「について」語り始めるのです。 でもインゴルドは、人類学者がほんとうにやってきたのは、フィールドで人々「とともに」研究することだったのだと言います。人々「とともに」研究する参与観察は、生きる方法を探るという、人間の共通の任務に関わっており、それこそが人類学に他ならないのです。 フィールドで人々から学ぶには、「他者を真剣に受け取る」という姿勢が肝要です。人々が何を言おうがしようが、私たちの「知識」を増やすためだけに、人々の言葉や行動をデータとして解釈するのなら、「他者を真剣に受け取る」という態度だとは言えません。「知恵」を得るとは、そのように論を閉じてしまうのではなく、フィールドの人々の経験を真剣に受け取り、そのことによって豊かになった想像力に対して論を開いていくことなのだと、インゴルドは言います。 『人類学とは何か』の中で、インゴルドはこのように、これまでどの人類学者もたいてい行ってきたのだけれども、誰一人として考えつかなかった、真に迫る人類学の輪郭をありありと私たちの前に示してくれたのです。 20世紀の初頭にニューギニア東部の島々でマリノフスキによって始められた人類学は、それから1世紀を経た今、同じ学問と思えないくらいにまで変容を遂げました。そのことを決定づけたのがインゴルドです。インゴルドは、人類学を根本からつくり変えてしまったと言えるでしょう。いや、そうではなくて、人類学者の行っていることのエッセンスに目を向け、大切な部分を抽出して、人類学の未来展望に向けて新たな足場を築いたのだと言うほうがいいかもしれません。 彼は、『人類学とは何か』の中で、以下のように述べています。 人類学の目的は、人間の生そのものと会話することである。(同書、33頁) 人間を生物学的でありながらも同時に社会的な存在だと捉え、自然科学と人文学の統合を目指したインゴルドは、「人間の生と会話する」という人類学を宣言したのです。 不確定な道を歩きながらも人やモノとの偶然性の出合いを受け止めて自分の生を歩みながら「ライン」を引いていく。これは現代を生きている私たちにとっても大事なメッセージです。フィールドの人々「とともに」生きていくあり方を模索し続けるインゴルドは、まさに「生の流転」を前面に押し出した人類学者なのです。 さらに連載記事〈なぜ人類は「近親相姦」を固く禁じているのか…ひとりの天才学者が考えついた「納得の理由」〉では、人類学の「ここだけ押さえておけばいい」という超重要ポイントを紹介しています。
奥野 克巳