フランス芸術界に衝撃を与えた告白 50代の権力者と10代少女は“恋人”? 性的同意は「免罪符」ではない
10代のうちに初体験を終わらせたい
時期を同じくして、日本では「性的同意」をめぐる物語を描いた映画『HOW TO HAVE SEX』(モリー・マニング・ウォーカー監督)が公開されている。イギリスから、ギリシャのクレタ島に卒業旅行でやってきた仲良し3人組を主人公にしたこの映画は、ヴァカンスに浮かれる10代の少女たちの熱狂を描きながら、その裏で、夏の間に初体験を済まそうと焦るある少女の心の動きを繊細に捉えていく。
同意をしたら心の傷を負っても仕方がない?
性体験に関して友人たちに遅れをとり焦る少女タラは、自分と同じくイギリスからヴァカンスに来ていた男たちと親しくなる。 だが彼女の初体験は想像したようなものにはならず、映画の後半は、彼女が自分の受けた心の傷をどう受け止め、言葉にするか、その過程が描かれることになる。問題になるのは、やはり「同意」の有無。 タラは決して無理に誰かに襲われたわけではない。たしかに同意をして初体験をしたと言えなくはない。でも、彼女が本当に同意をしたといえるのか。一度でも同意をしてしまえば、深い心の傷を負っても我慢するしかないのか。映画はそう問いかける。性的同意を得るには、どこまでもデリケートに、慎重にならなければいけない。何より重要なのは、彼女/彼が傷ついたのかどうかであるはずだ。 『同意/コンセント』や『HOW TO HAVE SEX』のような映画を見ることは、過去に性被害を受けた人たちにとっては辛い体験かもしれない。『コンセント/同意』でヴァネッサ役を演じるキム・イジュランは撮影当時すでに20歳を超えていたとはいえ、画面のなかでは明らかに子供に見える少女が、35も歳の離れた男に襲い掛かられる様子は痛々しく、目を背けたくなる。 それでもこれらの映画が広く見られるべきだと思うのは、これが被害を受けた人たち(ここでは女性たち)の側から語られる物語であり、自分が受けた被害を言葉にするまでにどれだけ長い時間がかかるのかを教えてくれるからだ。 2011年には、『ヴィオレッタ』という映画が公開された。監督のエヴァ・イオネスコは、写真家の母親によって、少女時代にヌードを含む写真を数々撮影され、芸術作品として世に出された女性だ。普通の子供が過ごすはずの幼少期を奪われ、「ヌードを撮られた娘」という烙印を押された少女。それは世間が言う芸術行為などではなく、母による虐待行為だったのだと、大人になった彼女は、映画をつくることで世界に向けて告発した。 芸術という名のもとで、怪物のような男に心と体を傷つけられ、さらに彼の本のなかで「ミューズ」として捕えられてきたヴァネッサ・スプリンゴラが、30年以上の時を経て、ついに自分の声でこの物語を語り始めたように。 彼女たちは立ち上がり、声をあげた。その声に、誰もが耳を傾けるべきだ。
月永理絵