無垢の木に包まれて休みたいと思う:「いのりオーケストラ」が提唱する新しい供養のカタチ
静岡木工家具の職人魂
菊池の叔父は、静岡浅間神社の宮大工だった。菊池は中学の頃から木工を教わっていたという。どうりで、木が好きで好きでたまらないわけである。 1800年代、徳川幕府が浅間神社造営のために全国から宮大工を呼び寄せた。その末裔が「駿河指物」といわれる釘を使わない箱物家具や、丁寧な細工が施された鏡台、そして仏壇を作るようになった。
そうした地場産業も、今や安価で請け負う海外に生産がシフトしつつある。静岡の地方創生になることを願い、「木工職人が技術を磨けるような、本物に向き合える仕事を発注していきたい」と菊池は言う。 「いのりオーケストラ」の木工品の数々を手がける、木工職人の安田昌弘さんを訪ねた。
「オーケストラさんの仕事は、こんなこと本当にできるのかなってレベル。そんな無茶ぶりを…と思う一方、なんとしてでも仕上げたいと思う。うまくいけば自分の持ち駒が一つ増えて、次の仕事につながる。菊池さんがお客さんの声をその都度伝えてくれるので、いい加減な仕事はできません」
菊池の言う「自分の好きな物は、好きな人に作ってもらいたい」という意味が実感できた。
「いのりオーケストラ」の始まり
菊池は、名古屋の測量学校を出たのち建設会社に就職、公園墓地の設計施工を担当していた。現代の埋葬や供養の形について初めて意識したのは、このときだ。 その後静岡に戻り、当時自身が乗っていた大好きなフォルクスワーゲンの営業職に転身、4年目で全国トップセールスマンになった。 その頃たまたま、遺骨からダイヤモンドを作るスイスの会社が静岡に進出したのを機に、「これは日本の墓問題を解決する」と方向転換。起業し、遺骨や遺灰を中に入れられるペンダント「アッシュインジュエリー」を開発したところ、ヒット商品となった。 あれから18年。現在は信頼できる少数精鋭の仲間で、会社を回している。菊池は商品開発からコンセプト策定、写真撮影、デザイン、梱包、出荷となんでもこなす。 「お客さんから、お礼や感想などいっぱい手紙をいただく。お客さんに育てられて、ここまでやってきました。いのりオーケストラに似た商品が増えた今、自分たちの提案した新しいジャンルがようやく受け入れられてきたと 感じています」 「業界に新しい風を吹かせるイノベーター、Appleのような存在でありたいと、ずっと思ってきました。自分が死んでからでもいい、例えばハンガーの形が普遍的なように『仏壇といえばおうちの形、誰のデザインだろうね』となっていたらうれしい」 職人技にほれ込んだ菊池の依頼で製品化された、ガラスの骨壷。この美しさに魅了されたもう一人が、龍雲寺(静岡県浜松市)の住職・木宮行志さんだ。