水川あさみ、櫻井翔、玉山鉄二出演「笑うマトリョーシカ」あまりに違う構成にびっくり! 原作は時系列、ドラマは過去を回想で 展開の速さや疾走感に納得も削ぎ落とされた魅力をぜひ原作で!
■タイプの違う清家の異質さと、主人公格の鈴木を原作で!
さて、前段で私は「もうひとり、原作とキャラクターが微妙に違う人物がいる」と書いたが、それが櫻井翔演じる清家一郎その人だ。ドラマの清家は自我がないどころか、何か腹に一物あるようにも見える。何か明確な意図があって、鈴木の知らないところで自分で決めて自分で行動しているように見える。 これも原作の第3部になってからの清家が少しずつ、本当に少しずつ変わっていくのに併せているのだろう。しかし小説では第1部、第2部の清家の空っぽさがあまりに印象的なため、第3部からの変化がひときわ不穏に感じられるよう作られている。ドラマは時系列でない分、過去と比べての変化を感じ取れないのは少々残念。ここはぜひ原作で味わってほしい。 原作通りの清家を演じる櫻井翔も見てみたかったなあ。原作にこんな一説がある。「政治家というものは、本性をひた隠し、世間に対して仮面をかぶり続けるものなのかもしれない。一流とされる政治家たちの多くが、きっとその本性を悟らせないよう努めているのは想像に難くない」──この「政治家」の部分を「アイドル」に変えても、この文章は成立する。そして長年トップアイドルとして君臨した櫻井翔が、仮面をかぶり続ける──しかもその本性は空っぽ──という役をどう演じるのか、とても楽しみだったのだけれど。ぜひ、原作を翔くんで脳内再生しつつお楽しみいただきたい。 もうひとつ、原作ならではの面白さは、鈴木というキャラクターだ。魅力的なのに中身がなくて100%自分に依存してくるクラスメートを、自分の手腕で生徒会長に、のちには閣僚にまでプロデュースする──そういうマニピュレーター願望というのが最初はいかにも中2(高2だけど)的で、けれど依存されているつもりが依存していたり、支配しているつもりが支配されていたりという人間関係のリアルを何度も突きつけられる。万能感、そこからの転落、不安、そして再生。原作の主人公はむしろ鈴木と言っていい。 ドラマが原作第3部から始まることで、展開の速さや疾走感など面白くなった箇所はもちろんある。が同時に、削ぎ落とされてしまった魅力も多い。その際たるものが、清家と鈴木の、若い時から壮年になるまでの細やかな変化だ。ドラマを見た人も、ぜひ原作でその変化を味わっていただきたい。おそらく「同じ話なのに別の物語」を読んでいるような気持ちになるはずだから。 大矢博子 書評家。著書に『クリスティを読む! ミステリの女王の名作入門講座』(東京創元社)、『歴史・時代小説 縦横無尽の読みくらべガイド』(文春文庫)、『読み出したらとまらない! 女子ミステリーマストリード100』(日経文芸文庫)など。名古屋を拠点にラジオでのブックナビゲーターや読書会主催などの活動もしている。 Book Bang編集部 新潮社
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