“東映の暴れん坊”たちの中では一番の激情型。韓国から東映にやって来た白仁天の思い出【張本勲の喝!!】
捕手から外野手へ
東映時代の白仁天。日本での通算成績は1969試合、1831安打、209本塁打、776打点、212盗塁、打率.278
私の青春とも言うべき東映時代はプロ入りした1959年から72年までのこと。73年から東映の名がなくなって日拓ホームとなり、74年からはフライヤーズの名前も消えて日本ハムファイターズとなった。私は東映で14年間過ごしたことになるが、私の現役生活は23年だったから半分以上ということになる。ちょうど20代だったこともあり、やはり思い出深い。 このコラムでは、その東映でともに戦った先輩や後輩を紹介してきた。土橋の兄(あん)ちゃん(土橋正幸)は良き兄貴分であり、山本八郎さんは高校(浪華商高)時代の先輩でもあった。逆に高校の後輩は卒業を待たずに入団してきた尾崎行雄だ。私とクリーンアップを務めた大杉勝男は憎めない弟分であり、先日、亡くなったばかりの毒島章一さんについても触れた。おおよそ紹介したと思っていたが、まだ忘れている選手がいた。白仁天(はく・じんてん)だ。ファンの間でも“東映の暴れん坊”の一人として記憶に残っているだろう。 白を知らない読者のために簡単に紹介すれば、韓国で生まれ育った白は韓国球界から日本にやって来た。入団は62年だったから、東映が日本一に輝いたシーズンである。白を東映に入団させたのは・・・
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週刊ベースボール