「49歳が心身ともに絶不調でした」モーニング娘。初代リーダー、中澤裕子(51)が語る“更年期の辛さ”。福岡に移住後もいまだ現役アイドル「来年はダンスを復活させたい」
家族ファーストでいられるよう仕事を調整
――初代リーダーとしてはメンバーの加入や卒業をどう見てきたのでしょうか。 当時5人だったメンバーからオーディションで3人増やすことを『ASAYAN』の収録中に言われて。おニャン子クラブさんの増え方とはまた違うし、私たち5人じゃダメなの?って最初は抵抗してました。 そこからあれよと保田圭と矢口真里と市井紗耶香が決まって8人になって。決まったからにはがんばろうってなったものの、その後は嫌とかなんだとか考える暇もなく毎日が過ぎていきました。 ――当時リーダーとしてはどういう心持ちでいましたか。 私はモーニング娘。になるために生まれてきたと思っていたし、代表してコメントを出すときは言葉のチョイスは間違ってないかなどと常に責任を感じてました。みんなをまとめるのに必死でしたね。 右向いてと言ってるのに右を向かない子に、どう伝えたらいいかは常に考えてきたことでした。でも最年長だししっかりしないといけないとか、気を遣うことは、現役時代よりも今のほうがありますね。 ――今のほうが気を遣うんですか。 はい。モーニング娘。の名前に傷つけたくないから、私は今の現役メンバーに迷惑をかけたり足手まといにはなりたくないし、OGだからこそ前に出過ぎないようにとか。初代リーダーから歴代リーダーがモーニング娘。の歴史を繋ぎ25周年を迎えられたことが幸せです。だからこそ30年に向けて走り続けたいと思っていますね。 ――10年前に福岡に移住されたのは、モーニング娘。OGとしての活動に少し区切りがついたからでしょうか。 子どもを授かる前までは一生東京で過ごすと思ってたのに、子どもができてどういう生活環境がいいかと考えたときに、ちょっと東京にいるのはしんどく感じたんです。夫は以前から仕事で福岡に行きたいと言ってたし、夫に「今なら行けるよ」って言ったら即移住が決まりました。モーニング娘。や私の人生以上に、子どもを育てる環境を意識した瞬間でした。 ――今はいいペースでお仕事ができているのですか。 はい、朝の情報番組にレギュラーで出演させていただいてます。東京ではありえなかったけど、今では一人で現場に入って一人で帰ってます。子どもをお留守番させることにすごく抵抗があるので、今は子どもが学校から帰って来る前には必ず家にいるペースで仕事ができるよう調整してもらっています。 ――お子さんにお留守番させたくないというのは、どんな思いからでしょうか。 私が6歳のときに父親を亡くし、母は働きながら私を育てていたのでお留守番が多くて、寂しい思いをしたんですね。だからこそ同じ思いをさせたくないし私が仕事を受けることで家族に迷惑をかけたくないんですね。 ――今後、お子さんの成長とともに、どのように仕事の仕方を変えていこうとお考えですか。 歌はずっとやっていきたいし、バラエティやテレビなどはできる限り出させていただきたいですが、舞台やお芝居はまだそこまで全集中できないので難しいと思います。子どもの受験も控えているし、まだまだ親の務めが残っているなと。
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