「49歳が心身ともに絶不調でした」モーニング娘。初代リーダー、中澤裕子(51)が語る“更年期の辛さ”。福岡に移住後もいまだ現役アイドル「来年はダンスを復活させたい」
日本の女性アイドルグループとして27年という最長の活動年数を誇る「モーニング娘。」。その初代リーダー中澤裕子さん。今年6月で51歳となった彼女は10年前に福岡に移住してローカルタレントとして活動しながら、今なおハロー!プロジェクトのOGとしても活動中だ。そんな中澤さんにモーニング娘。時代を振り返りつつ現在の育児と仕事の両立に関しても聞いた。 51歳のバースデーを懐かしのハロプロメンバーに祝われて涙を流す中澤裕子と、ライブ中にファンが手にしていた「今更中澤」と書かれたサイリウム
つんくさんの歌の世界観を解釈できるようになった
ソロディナーショー「中澤裕子 Birthday ☆Casual Dinner Show 2024 ~5 +1」の会場で「こっから5年連続でディナーショーを続けるからね」と宣言した中澤さん。これは、なんといっても一昨年にハロプロ25周年のコンサートを行なった影響が大きいのだという。 ――今回のディナーショーはいつ頃にやろうと決めたのですか? 中澤裕子(以下、同) モーニング娘。の25周年コンサートを終えてからやるつもりでした。今年3月頃に歌う曲目は決めて、音源を送ってもらって聞き直してイメージを膨らませていくんですけど…あまりライブに意識を持っていきすぎると私生活に影響が出ちゃうので、なるべく子どもが学校に行ってる間や、夫が出張で不在の時に一人の時間を見つけてイメトレしてましたね。 ――中澤さんとしては、家庭に仕事は持ち込みたくないんですね。 はい。私は家族ファーストなので。仕事のことを考えてる私の顔は子どもからすると怖いみたいで、だからこそ家庭では一人でいる時間しか仕事のことは考えたくないんです。この前、福岡でイベントがあった時に娘がサプライズで手紙をくれたんですが『仕事の顔からふだんの顔の切り替えが怖い』って書いてあって。そんなことをもう感じ取れる年齢になったんだと思うと感慨深いです。 ――娘さんにコンサート映像なども見せたことはあるんですか? 私は自分の映像を見るのは好きじゃなかったので、自ら見せなかったんです。でもお家で旦那さんとお酒を飲んでる時に、2011年にドリームモーニング娘。を結成して初めて武道館でライブしたときのDVDを娘が「これなに~!」って出してきたんです。酔っ払って「見る?」って流れになって。 ――娘さんはどんな反応でしたか? 「すごーい」って喜んでくれました。それに歌番組などで過去映像が流れると食い入るように見てくれるので、それなら生でお母さんが歌って踊る姿を見てほしいと思って、6月のディナーショーのときも家族を呼んだら昼と夜の2部とも見てくれてました。 ――ライブではモーニング娘。の代表曲『恋愛レボリューション21』なども歌っていましたが、やはりモーニング娘。時代と今では歌うときの気持ちは違いますか? まったく違います。モーニング娘。時代は言葉を体に染み込ませて覚えていたんですけど、今は歌詞を噛み砕いて歌っているという感じ。 例えば『恋愛レボリューション21』なら、ただ男女の恋愛ソングではなく、仕事など日常生活を送る中で、それが美しい地球上でひとつの歴史として刻まれてる…って、つんくさんの歌の世界観の広さをちゃんと解釈できるようになった気がしています。 ――今でもつんくさんとはご交流はあるのでしょうか。 今は直接はないですが、つんくさんが何か出版されたときなどは私の分もご用意していただいて送ってくださいます。つんくさんとは年齢が離れていないとはいえシャ乱Qとして活躍していた姿をリアルに見ていたし、何よりプロデューサーさんだし、以前から「つんくさん~」などと自ら行って声をかけることなんてできませんでした。 後輩メンバーが「つんくさんはお父さんみたい」なんて言ってましたけど、私には絶対に言えない。いまだに雲の上の人なんです。
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