“吹っ切れた”リーダーになるための第一歩とは? 『リーダーシップの旅』に学ぶ、自分をリードする方法
■ 自暴自棄でも神頼みでもない「吹っ切れた」状態とは? つまり、私たちには「頭」の他に「心」がある。「頭」の中の合理的な計算と、「心」が持つ非合理的な情動が合致した時に、私たちは前に進むことができる。最初は必死に「頭」で考える。「頭」で考えて考えた末に、ある未来の答えにたどり着く。そうすると、不思議と「心」がその未来を実現したい、って言い始めるのだ。 「頭」で考えている間は、これからのキャリアだとか他人の視点だとかいろいろ打算的なこともチラつくが、やがて「心」が訴えかけ始めるともはやどうでもよくなり、やがて疑問すら抱かずに前に進むようになる。これこそが、「リード・ザ・セルフ」の状態だ。 本文中にはこのような一節がある。 「頭」と「心」を一致させること、旅に出ることが大事だと考え、頭の中でできると信じ、心の中でもどうしてもやりたいと感じること。そういう「吹っ切れ」がなければ、リーダーシップの旅は始められない。 この言葉を借りるならば、「リード・ザ・セルフ」というのはある種の「吹っ切れた」心の在り様であるとも言える。自暴自棄でもなく、神頼みでもない。合理性に基づく非合理的なまでの自信。何かに対してこのような心境に至った時、私たちはリーダーとしての一歩を踏み出したと言えるのだろう。 そして、周囲にいる人たちは、このような「リード・ザ・セルフ」に至った人の視界をのぞきたくなる。行動を共にして、自分もその視界をのぞくことで、吹っ切れたいと願う人が生まれてくる。これがフォロワーが生まれる瞬間だ。 リーダーの旅路は、まず自分自身をリードすることから始まり、その姿に影響されて他の人たちがついてくるという経路を取る。繰り返すが、肩書きが与えられ、組織メンバーというフォロワーがあてがわれる、という構図は、リーダーを語る時の本質ではないのだ。 さて、もう一度冒頭の問いに戻りたい。 あなたはリーダーですか? その答えはYesでもNoでもよい。しかし、その根拠を、まず「自分が自分自身をリードしているのか?」というリーダーへの旅路の入り口に求めてほしい。その問いこそ、私たちを成長へと導くことになるのだから。
荒木 博行