【社説】能登地震1年 復興元年へ支え続けよう
ミシミシという嫌な音を立てる家屋の揺れに眠りを奪われた。 おととい未明、石川県能登町で震度1の地震が起きた。松永鎌矢(けんや)さん(35)は寝床で、大きな揺れがさらに来るのではと身構えた。 能登地方は今なお不安と隣り合わせだ。息長く寄り添っていかなければと改めて実感したという。 松永さんは被災地支援に取り組む大分県日田市のNPO法人リエラの代表理事だ。今年は半分以上能登にいた。拠点として借りた古い民家で年末年始も過ごす。 元日のだんらんを襲った能登半島地震からあすで1年となる。推定マグニチュード(M)7・6の地震が能登を揺さぶったのは1月1日午後4時過ぎだった。 石川、新潟、富山3県で500人以上が亡くなった。大火災や津波に見舞われ石川だけで住宅被害は10万棟を超えた。さらに石川は9月の豪雨で二重被災してインフラ復旧も進まず、過去の災害と比べても復興の歩みは遅い。まだ200人以上が公民館などでの避難生活を強いられている。 物資の提供や炊き出し、ボランティアの調整などリエラの活動は多岐にわたる。毎年のように豪雨災害に見舞われる日田市も各地から支援を受けてきた。「恩送り」と松永さんは言う。受けた恩を直接その人に返すのではなく、別の誰かに届ける。災害大国だからこそ、この輪をさらに広げよう。
■なぜ教訓生かされぬ
松永さんは震災から2日後に能登に入った。仕切りもない避難所で多くが雑魚寝をしていた。高齢化が進む厳冬地域だ。劣悪な避難環境による災害関連死の多発を懸念し、それは現実になった。 石川県の関連死は270人に上り建物倒壊などによる直接死を上回る。200人超が審査待ちで、さらに増える見通しだ。 政府の有識者会議は11月、能登半島地震を踏まえた今後の災害対応として、避難生活の質向上を提唱した。その必要性や内容は何度も指摘されてきたことだ。 なぜ教訓は生かされないのか。自然災害はある地域にたまにしか起きないと見なされ、被災者支援の準備は政治や行政にとって優先順位が低かったからではないか。関連死の多くは人災と言わざるを得ない。 政府は災害時の国際基準に沿ったトイレ、キッチン、ベッドなどを配備する官民連携の体制構築を急ぐ。避難所運営を担う市町村だけに任せれば予算や人員の規模によって格差が生じる。国の責任で体制を整える必要がある。 来年は阪神大震災から30年の節目でもある。災害への国民の意識を高め、南海トラフ巨大地震、首都直下地震などへの備えを本格化させなければならない。