【社説】能登地震1年 復興元年へ支え続けよう
■何度でもはい上がる
地震と豪雨で多くの集落が崩壊した。故郷を追われた人たちは仮設住宅や県外に身を寄せる。 石川県は単に元の姿に戻すのではない「創造的復興」を掲げる。住民や帰郷を願う人の意見を反映させる必要がある。過疎地の切り捨てになってはならない。 輪島市内で1961年に創業した「もとやスーパー」は11月末、本格的に営業を再開した。リエラの松永さんも応援してきた。 地震後も営業を続けたが豪雨で店は壊れた。本谷一知社長(47)は言う。「豪雨で心が折れそうになりました。でも何度でもはい上がる、ここで店の灯をともし続け地域再生の中心になることが、地元や応援してくれた人たちへの責任の取り方だと思ったのです」 寄付を募り、ボランティアらが利用できる宿泊施設も備えた復興拠点の整備を目指している。 被災地には新年を祝うことをためらう空気も漂う。本谷さんは松永さんの提案であすの元日、スーパーで餅つきを企画している。こんな時だからこそ「来年を復興元年に」との決意を込めたい。被災地に共通した思いだろう。 ボランティアで現地に行く、義援金や物資を送る、観光に行く、物産や工芸品を買う。できることはたくさんある。九州からも能登を支え続けたい。