走り続ける脚本家・倉本聰82歳 ── 全力を尽くした者のみが知るやすらぎ
2017年1月、ドラマ「北の国から」で知られる脚本家で演出家の倉本聰さんが、最後の舞台「走る」の全国ツアーを展開します。82歳を迎えてもなお、なぜ精力的に作品を作り続けられるのか。倉本さんの40年以上見つめてきたNPO法人「C・C・C 富良野自然塾」副塾長の林原博光さんが、その秘密を読み解きます。 ---------- 今日から5回にわたって脚本家・演出家「倉本聰」のことを書こうと思う。 書く私はみなさんになじみがないので簡単に自己紹介からさせもらう。1968年、TBS入社。最初はラジオでいろんな番組を作った。作った番組の一つがラジオドラマ「羆嵐(くまあらし)」。大正時代、北海道の開拓村が300キロを超す巨大な羆に襲われて7名の死者を出した事件。吉村昭さんの原作で、脚本を書いてくれたのが倉本聰。放送は1980年。主演が高倉健。他に倍賞千恵子、笠智衆などラジオドラマでは考えられない豪華な顔ぶれ。倉本との付き合いはこの「羆嵐」から始まった。
倉本とは40年近い付き合いだが、私が定年になって一緒に富良野自然塾を立ち上げてから付き合い方が変わった。東京で時々会っていた付き合いが毎日になった。 富良野自然塾は閉鎖されたゴルフ場に木を植えて森に戻す活動とそのフィールドを使った環境教育プログラムをやっている。その富良野自然塾を一緒にやろうと誘われて富良野に来てから常に倉本のそばにいるようになった。近くにいて彼の暮らしや仕事の一部始終を見るようになり、それまで知らなかったことをたくさん知るようになった。それまでも大した才能の持ち主だとは思っていたが、その才能の裏に隠れた膨大な苦闘があることを来てから知った。歳をとったらエネルギーがなくなるからその分頑張りが衰えるのが普通だが、倉本の場合、歳をとるに従って体力は衰えているのに、気力と冴えは高まるばかり。こんな後期高齢者は見たことがない。