SXSWを生んだ街が「奇妙」であり続ける3つの理由【オースティン音楽旅行記Vol.1】
この街の音楽史と3つのキーワード
オースティン出身といえば、東海岸とも西海岸とも一味違うパンクシーンは、バットホール・サーファーズという異端児を生み出した。ダニエル・ジョンストンが描いた壁画「Hi,How Are You」は街のランドマークとなっている。ゲイリー・クラーク・ジュニアは同市のヒーローであるスティーヴィー・レイ・ヴォーンに憧れ、10代の頃からAntone’sというブルースクラブに入り浸ってきた。 多様なバックグラウンドをもつ人々が共存し、アウトサイダーであることを厭わない。この大らかさはどこからやってくるのか? Omarさんの答えは単純明快で腑に落ちるものだった。「要するに『hippie, small, diverse』なんですよ」。 先にも記したとおり、ここにはヒッピーの楽園めいた雰囲気がある。なにせ空港に着くなりジャニス・ジョプリンが目に飛び込む街だ。大学時代をオースティンで過ごした彼女は、Threadgill’sというライブハウスでシンガーとしての個性と反骨精神を花開かせた。60年代にこの街は南部におけるカウンターカルチャーの中心地となり、そのことが上述したサイケの文脈ともつながっている。 そして、守護聖人というべき存在がウィリー・ネルソン。ナッシュヴィルの保守的なカントリー業界に幻滅した彼は、移り住んだこの街でヒッピームーブメントと巡り合い、ロック、フォーク、ジャズ、R&Bに影響された新しいカントリーを創造する。 1972年8月12日、ウィリーは今は亡き伝説のホールArmadillo World Headquartersに出演し、「この街の音楽史を永遠に塗り替えた」とされる名演を繰り広げた。本人はその夜のことを「ヒッピーとレッドネックが初めて肩を組み、一緒にダンスし、飲み交わし、男どうしでキスをした」と術懐している。それはカウンターカルチャーとカウボーイ文化という相容れなかったはずのものが平和に重なり合い、左翼と右翼の線引きがどこか曖昧な「オースティンらしさ」が芽生えた瞬間でもあった。 そこからタウンズ・ヴァン・ザント、ガイ・クラーク、ウェイロン・ジェニングス、クリス・クリストファーソンといった才能も集うようになり、オースティンは「アウトロー・カントリー」と呼ばれる音楽運動のメッカとなる。そこから金儲けよりもクールなものづくりを大事にすること、既成概念にとらわれないアウトローであることが街の気風となり、SXSWを含むインディーカルチャー及びテクノロジー産業の発展をもたらす礎ともなった。 街中でウィリーの写真や絵を見かけるたび、彼がどれだけ重要な存在なのか実感させられる。反体制的なアティテュード、多様性に溢れた音楽観、コミュニティに愛情を注ぐ姿勢は、まさにオースティンの精神風土そのものだ。 同じテキサス州でもダラスやヒューストンではなく、オースティンが特異な立ち位置を確立するに至ったのはなぜか? Omarさんはもう一つの理由に、恵まれた自然環境を挙げる。 「アーバンな景観のなかに緑地が広がっているのは大きいですよね。市内に多くの湖や小川があり、そのまま泳ぐこともできます」 コロラド川やレディ・バード湖は息を呑む美しさで、水泳、カヤック、釣りなどのアウトドア・アクティビティも楽しめる。『ヒッピー、ギター弾き、怠け者、オタクがテキサスの州都を生まれ変わらせた』というタイトルの研究書もあるようだが、ゆるやかな空気がクリエイターに好まれ、彼らの創作意欲を刺激してきたことは容易に想像がつく。 「小ぢんまりとした街なので、遠くまで車を走らせる必要もありません」と語るOmarさんは、ランチを終えるとロードバイクで帰路についた。たしかに、徒歩での移動でもおおよそ事足りるのはこの街の魅力。街中で放置されたレンタルキックボードを何台も見かけたが、そういうイージーなノリもなんだか羨ましい(置き場所の指定がないため乗り捨てOKとのこと)。 「Keep Austin Weird」というスローガンがあることを、筆者は恥ずかしながら帰国後に知ったのだが、ここまで的確な表現も珍しい。オースティンで「奇妙であり続ける」というのは最大の褒め言葉なのだろう。そのユニークさを尊ぶ姿勢は、はみ出した個性を認め合い、ダイバーシティを重んじることの裏返しでもある。 Uberの彼女が脳裏に浮かぶ。聡明さと思いやりをもつ人々にとって、この街は居心地がよさそうだ。彼女の言葉に従い、オースティンを楽しんでみようと思う。 ※【オースティン音楽旅行記】次回Vol.2は11月13日掲載 ※取材協力:ブランドUSA、オースティン観光局
Toshiya Oguma