「盲導犬を蹴られる」エスカレーター片側空け問題、条例施行でどうなった?
人の行動を変容させるもの
── エスカレーターを歩く人は、自分は安全だから早く行きたいという個人の利得を最大化する行動原理に基づいているように見えます。社会全体としては2列利用した方が輸送効率的にも安全面からも利得が大きいとしても、それと個人の利得が相入れない。となったときに、ただ「右側に立とう」と言われただけで立ち止まるようになるのでしょうか。 ただ条例を出すだけではダメです。あなたの行動でどういう人がどういう危険にあっているのか。どういう思いをしているのか。それを知らせなければいけません。 視覚障害者、盲導犬を連れた人、高齢者、そういう人が転落して怪我をしている。妊婦さんが転倒するといった事故が起きている。エスカレーターを歩くとそういう事故を誘発してしまう。だからいけないのだ、という部分をもっともっと前面に出さないといけない。つまり、自分が加害者になっているという気づきを一般市民に持ってもらわないといけません。 ── 現状はそもそも知らないから歩いているけれども、知りさえすれば行動を変える人が結構な数いるということでしょうか。 おそらくそうです。自分の親が危ない目に遭うとなれば、行動を変える人は多いはず。共感するような情報を出せば行動変容につながるということです。 なぜ走ったらいけないのか。なぜ歩いたらいけないのか。その説明抜きにただ「走るな」「歩くな」と言われたら、それは「こっちだって急いでいるのに」となってしまいます。 ── そうだとすると、逆に条例は本当に必要なのですか。ルールにせずとも、そういう危険性を示しさえすれば、人の行動は変わるとは言えないのでしょうか。 本質的な問いです。日本人は東日本大震災のときから人のことを考えて行動すると言われます。食料の配布においても、3時間も4時間も自分の番を待つという民族です。 ......のはずなのですが、最近はそれが当てはまらない事態が起きています。歩きスマホがまさにそうです。「人に迷惑がかかるから」といくら啓発しても、引き続き歩きスマホをする人がたくさんいます。なんの根拠もないのに「自分は大丈夫」「俺はぶつからないから」などと言って。エスカレーターの問題もその延長線上にあるのではないでしょうか。 ── 結局、啓発だけでは人の行動は変わらないということですか。 電車やバスの車内通話はなくなりました。人に迷惑がかかるからという啓発だけで、だんだんと下火になってきました。ところが、歩きタバコは条例化しなければ減りませんでした。以前から危険性は指摘されていましたが、それでも条例を作るまでは減らなかった。ですから、啓発だけで変わるものと、条例を作らなければ変わらないものの二通りあるのではないかと。 人間行動を変容させる決め手とは一体なんなのか、と私も思います。まだ一つの解を出せずにいます。こうすればこうなる、という簡単なものではない気がしています。 ── 罰を設ける、ルールで縛るのは分かりやすい。ですが、人の行動を変えるのに、それしか方法がないというのは絶望的にも思えます。 もちろんがんじがらめにするのもどうなのかと私も思います。私自身、歩きスマホに関してずっとそう言ってきました。ですが、全然解決される気配がありません。それで今は「ちょっと罰則があってもいいのかな」と思っています。 歩きスマホに関して罰則があるのがハワイです。われわれが調査した当時、ハワイでは、道路を横断する際に歩きスマホをすると約100ドルの罰金が科されていました。 当時はまだコロナ禍の前でしたから、ワイキキを歩いているのは大多数が日本人でした。日本人観光客の中でもツアー客は歩きスマホをしません。なぜならツアーのガイドブックに罰則について書いてあるからです。歩きスマホをしている人は全員個人旅行者でした。話を聞くと、みな口を揃えて「(罰則を)知らない」と答えるのです。 この結果を受けて「ああ、罰則があることを知ったら日本人はやらないのか」と私は思いました。 ── 埼玉県、名古屋市のエスカレーターの利用に関する条例には罰則規定はありません。今の話の流れからすると、ゆくゆくは罰則規定も必要だというお考えですか。 そうかもしれません。ですが、私はまだ(罰則なしで)やれると思っています。 そのために本質的に必要なのは教育です。道徳教育などによって、人を思いやる気持ちを小さい頃から身につけさせる。そうして成熟した社会を作らないといけません。そういう教育などをまったく考慮せずに「罰則をつければいい」などと言う人がいます。たしかに効果はあるかもしれないですが、私は「違うのでは」と思います。