新型コロナ禍と東日本大震災を知る浦和レッズ武藤が語る「今世の中で絶対に必要ではない職業のサッカーをする意義」
サッカー人生で最も感動した試合をあげるなら――。流通経済大学からベガルタ仙台をへて、2015シーズンから浦和レッズでプレーする元日本代表FW武藤雄樹の答えは決まっている。 それは2011年4月23日の川崎フロンターレとのJ1リーグ第7節となる。ベガルタのルーキーだった武藤はピッチに立てなかったどころか、ベンチにすら入っていない。それでも、土砂降りの雨が間断なく降り続く敵地、等々力陸上競技場で行われた一戦がいまもなお鮮明に蘇るのはなぜなのか。 3 分間ほどに編集された9年前のフロンターレ戦のハイライト動画を埋め込んだ呟きを、武藤が自身のツイッター(@yuukimutou)に投稿したのは、新型コロナウイルス禍ですべての公式戦が中断されて1カ月以上がすぎた今月上旬だった。ツイートにはこんな言葉が紡がれている。 <苦しい時を乗り越えれば、またみんなにサッカーのある生活が戻ってくる。いま出来ることを!共に頑張りましょう!>(原文のまま) プロになって10年目。シーズン終盤の11月には32歳になる武藤をいまも感動させる一戦は、2011年3月11日に発生した東日本大震災に伴う、42日間におよんだ中断が明けた瞬間でもあった。 クラブハウスが半壊する被害を受けたベガルタはやむなく仙台を離れて、千葉や埼玉で長期合宿を敢行して再開に備えた。試合は前半37分に先制されるも、後半28分、終了間際の42分に連続ゴールをゲット。それまでアウェイでは1分け6敗と苦手にしていたフロンターレから執念の逆転勝利をもぎ取った。 「あのときはリーグが再開されてから、ベガルタのキーワードだった『希望の星になる』を介して、本当に大勢の人々に希望を与え、そして気持ちを動かせる試合ができたと思っています」 ビデオ通話アプリ『Zoom』を介して20日に行われた合同取材に応じた武藤は、ルーキーイヤーにベガルタの一員として共有した軌跡をこう振り返った。