疲れた時に「してはいけないこと」。不調をチャンスとみなすカラダの整え方
※この連載は、編集工学研究所・ほんのれん編集部がお届けします。ポッドキャスト「ほんのれんラジオ」とあわせてお楽しみください。 【全画像をみる】疲れた時に「してはいけないこと」。不調をチャンスとみなすカラダの整え方 ウメコ: : 最近、疲労予防や健康法の本がやけに多いね。世の中的に、疲れてちゃダメ、健康で元気でいなきゃっていうプレッシャーが強くて、ちょっと怖くなる......。 ニレ: : 疲れてる時もしんどい時も、常に一定のパフォーマンスを出さないと「大人失格」って見える感じ、なかなか厳しいよな。 オジマ: : カラダや心の状態が日々変わりつづけている方が、本当は自然なはずなのにね。 ヤマモト: : 私たち、疲れや不調を「治そう」としすぎなのかも。これって実は、今の時代そのものが抱えている病ともいえるみたいだよ。
「自己管理」時代はいつ始まった?
ニーチェの「神は死んだ」という言葉はよく知られているけれど、その続きがあったことは意外と知られていない。 ニーチェはこうも言っていた。「神が死んだあとでは、健康が女神となる」。19世紀のことだ。 かつては宗教など伝統的価値観が、生きる意味や、運命の説明を与えてくれた。やがてこの基盤がゆらいで「自立した個人」が当たり前になってくると、人々は自分で自分の人生に責任を持つようになる。「自己管理」時代の始まりだ。
「できる人」競争で疲弊する社会
現代人は、絶え間ない「能力証明競争」にさらされている。 自分が「できる」人であることを示しつづけなければ、社会から脱落する。その切迫感から私たちは自分自身を搾取し、疲弊しきるまでこき使ってしまう── 。 こう警鐘を鳴らすのは、ニーチェから200年後のドイツで活躍する哲学者ビョンチョル・ハンだ。彼による『疲労社会』ではこう書かれている。 かつては規律に従順であることが社会適合の証だったけれど、いまではそれが「できること」を証明する能力至上主義に変わっている。けれど、ちょっと待てよ、とビョンチョル・ハンは言う。 効率的に仕事をこなして「できる」ことを繰り返していても、それは既存のものの再生産にしかならない。せっかちな「できる」競争からは、新しいものは生まれないのだ。 時には立ち止まって退屈や「なにもしない」ことに身を委ね、蓄積した経験のなかから何かが生まれ出るのを待つ時間も必要だ。鳥の卵は温めてもらわないと孵化できないのと、同じことだ。