【旧日本軍司令官辞世の句】陸上自衛隊第15旅団は「削除予定はありません」辞世の句に触れる前の訓示はどうだったか
沖縄の陸上自衛隊第15旅団のHPで、旅団の「沿革」を紹介するなかに、79年前の沖縄戦で持久戦を指揮した旧日本陸軍の司令官の辞世の句を掲載している件で、第15旅団は取材に対し、「削除する予定はありません」と回答しました。 ▽掲載した経緯について第15旅団の回答 「沖縄県出身の初代桑江郡長が部隊発足の時に沖縄県の発展、県民の平和な明るい生活、福祉の向上、それに寄与したいとの決意を示した訓示、それと合わせて、本人が強い思いをもっていた辞世の句をあわせて投稿したもの。旅団としては、沖縄の本土復帰直後、その歴史的事実を示す資料として、部隊の沿革に掲載しているところです」 ただ、桑江郡長が訓示の時にこの句に言及したかどうかは現在確認中だとしています。 第15旅団の「沿革」のページを見ると、復帰当時の沖縄に創隊された陸上自衛隊第1混成群の群長、桑江良逢1等陸佐による訓示では、復帰までの沖縄の道のりについて次のように述べています。(以下、HPより訓示の一部を引用) 「…第2次世界大戦末期、米軍の上陸を迎え撃って沖縄は熾烈な地上作戦の決戦場となり、軍人はもとより官民多数の尊い人命を失い、郷土は廃墟と化し、さらに戦後27年間同胞でありながら祖国から切り離されて、異民族統治のもと幾多の艱難辛苦をなめて今日に至った。この間、日本本土はいち早く戦後の苦境を脱却し、国民総生産では、自由世界第2位という驚嘆すべき経済発展を遂げ、国民の生活水準は飛躍的に向上した。沖縄県民のたどってきた長いいばらの道を思うとき、我々は同胞の一人として痛恨措く能わないものを感ずるとともに、心から同情の念を禁じ得ない。…」 このように苦難の歴史を振り返り、復帰後の陸上自衛隊第1混成群の任務遂行を通じ、沖縄県に貢献することを改めて決意する、としています。またこの訓示の最後では沖縄戦での犠牲について「防衛のため散華」した「英霊」として、次のように語っています。 「最後に、沖縄作戦において風土・郷土防衛のため散華された軍官民20余万の英霊に対し、この決意を誓うとともに御霊安かれと祈念する次第である」
これに続いて、旧軍の牛島満司令官の辞世の句が掲載され、桑江群長の名前で締めくくられています。 秋待たで 枯れ行く島の 青草は 皇国の春に 甦らなむ 昭和47年5月15日 1等陸佐 桑江良逢
琉球放送