東京からは見えてこない「なぜ維新は大阪で絶大な支持を得ているのか」
「維新」の生い立ち
話は2004年にまでさかのぼる。当時、自民党に所属していた松井と浅田は、大阪府議団の「反主流派」として、同年の府知事選では自民が推薦した現職知事、太田房江に公然と反旗を翻し、民主党を離党したばかりの江本孟紀の支援に回った。背景にあったのは、同じ自民推薦の政治家であっても府と市で全く別の公約を掲げることがあるという大阪の政治事情だった。典型は太田と大阪市長磯村隆文である。太田はのちの維新構想に近い、府が市を吸収する「大阪新都構想」を掲げ、磯村は府の影響力を弱め市の権限を強化する「スーパー指定都市制度」を主張した。相いれない主張だが、どちらも自民が推薦した。 地方自治の在り方という根本に関わる政策でありながら、全く異なる主張の政治家を党本部が同時に推薦し、同時に当選する。これらの矛盾に対し、浅田らが問いただしても明確な説明はない。不満を募らせた浅田は07年の統一地方選時、自身の公約にローカルパーティー(地域政党)の設立を掲げる。そこに目を付けたのが、08年に自民、公明の推薦を受けて府知事に当選した橋下徹だった。 当時を知る府政担当記者の述懐──「浅田さんが主張していたのは、政党にも地方自治が必要というもの。府市がもっと協調しなければという課題は、実は自民党が与党だった時代から幅広く共有されていた問題意識だった。東京のような単位での分権もなく、大きな府と主要都市部の大阪市が水面下でお互いの利益を主張しあい、同じ政党なのに対立する。政党だけでなく府庁の内部にも分かりやすい敵を設定するという橋下さんの手法に問題は確かにあったが、そんな大阪に改革が必要だという主張が広がる素地をつくった責任は長く府政、市政で与党だった自民にある」 浅田がよく語る演説の言葉を借りれば「東京に人が集中し、豊かになっている。大阪も成長できるはずなのに、失敗続き」という問題意識に対して、中央政治は冷淡だった。 財政問題に端を発した府庁舎移転問題など、橋下と議会の対立が続くなか、ついにかつての反主流派が構想を実行に移す。 それが2010年4月に結党した橋下をトップとする地域政党「大阪維新の会」である。表看板は橋下だが、キーパーソンは最初期に幹事長と政調会長に就いた松井と浅田だ。彼らはお互いの長所と欠点を補った。 橋下はカリスマ性と既存の枠組みを壊すことには長けていたが、仲間をまとめるのが得意なリーダーではなかった。来るものは拒まないが、去るものも追わないし、これまでの政治家と違って組織固めにも注力しない。リーダーシップをイコールで面倒見の良さと結びつけない割り切りがあった。 人を選ぶ橋下的なリーダーシップの欠点を補い、風を求めて維新に流れてくる旧自民系を中心とする議員たちや有象無象の候補者のなかから選挙の出馬戦略をまとめ、規律ある統制を試みたのは後に大阪府知事などを歴任した松井である。表でも裏でも旧知の記者やメディアの取材を拒むタイプではない彼はメディア対応でも一日の長があった。 橋下という強烈な個性を前にするとどうしても日陰の存在になってしまうが、組織を固めるために欠かせない人材だ。 浅田は分かりやすく人々に説明する能力や人付き合いの良さと、派手さは欠けていたが、京都大学出身でスタンフォード大学への留学経験もある維新屈指の理論派として知られていた。大阪都構想や地域主権を軸にした政策を慶應大学の公共政策学者・上山信一らと練り上げたのも浅田だ。 顔となる強いリーダー、徹底した黒子役と嫌われ役を買って出たナンバー2、政策に強い補佐役──彼らにとって幸運だったのは、それぞれの欠点を補い合える人材が「大阪の改革」を一致点に集ったことだ。橋下だけなら組織は瓦解していただろうし、松井が中心になったところでカリスマ性も政策を作る力もなく、浅田にはポピュラリティーを獲得するような話術も組織を束ねる胆力もなかった。 結党から1年後、11年4月の統一地方選の躍進を経て、都構想を前進させるため府知事の橋下が辞職して市長選に、松井が府知事選に出馬し民意を問う11月の大阪府知事・市長のダブル選を制し、維新は国政選挙に打って出る。浅田が中心となってまとめた「維新八策」では、まず統治機構改革を打ち出した。 政党に限らず、どのような組織であっても立ち上げには独特の苦難がつきまとう。初期の選挙戦には後に問題を起こした議員もいたが、混乱から選挙を重ねるなかで人材も生まれる。彼らの長所と困難を目に焼き付けることになったのが、維新最初期の統一地方選に名前を残した35歳の吉村だった。立候補した選挙区は、弁護士事務所を開設していた大阪市北区である。当時は全く無名の一新人候補者に過ぎず、定数3の北区選挙区で彼は2位で初当選を果たすことになった。得票数は7386票だった。 組織戦を展開できない一新人にとって追い風になったのは、投票率の上昇だ。前回40%を割り込んだ北区の投票率は、維新への注目もあって44.21%と4ポイント以上上昇している。有権者が抱いていた政治不信もプラスに働いた。大阪市選挙管理委員会などによる大阪市民を対象にした世論調査によれば、政治に不満な理由として「政府や議会は、現在の諸問題に対応する力がない」と答えた人の割合は50.4%と目立って高かった。
石戸 諭(記者・ノンフィクションライター)