なぜ中国人は高田馬場を目指すのか――「ガチ中華の街」になった高田馬場と歌舞伎町の二都物語
「留学生30万人計画」の追い風
なぜ中国人は高田馬場を目指すのか――。 高田馬場は中国人に人気の高い名門・早稲田大学に隣接するターミナル駅で、中国人留学生のための日本語学校、有名大学を目指す進学塾がひしめいている。今や“早稲田ブランド”は超難関の東京大学や京都大学を凌ぐ人気だ。早稲田大学は、2000年代初頭の早い段階から留学生獲得に動いた。日本は長期的にみると少子化のあおりを受け受験生が減少することが目に見えていたからだ。 そこで、目をつけたのが好景気の影響で富裕層が急増し、日本とも距離が近い中国だった。2008年、文部科学省が発表した「留学生30万人計画(2020年を目標)」も追い風となった。その結果、最新の2018年の留学生総数は約29万9000人にまで到達。その4割を中国人が占める。しかも、その留学生像は、従来の日本人の先入観とはかけ離れていて驚くばかりだ。 「中国人留学生は改革開放の恩恵を受け、同時に『独生子女(一人っ子政策)』で生まれた子どもたちです。だから、中流以上の家庭であれば、子どもを国外の私立大学に留学させ、毎月、家賃と生活費程度の仕送りをする経済的余裕があります。一人っ子なので、両親以外に祖父母、親戚からも援助が期待できる。中には、学生の身分でありながら、学費とは別に、親のお金で東京の一等地に投資用のタワマンを購入する超富裕層もいます。上を見たらきりがありません」。前述の男性はこう語った。
中国人による中国人のための中国食堂
こうした中国人留学生相手の店は、昨今、「ガチ中華」と呼ばれている。それは日本人が知る「中華料理」でも「町中華」でもない。 日本人が慣れ親しんだ「中華料理」は、1980年代以前に日本にやってきた中国人が、故郷の味を日本人向けにアレンジして誕生した。有名なのが、「四川料理の父」と呼ばれた陳建民で、あの「麻婆豆腐」の日本風レシピや「海老のチリソース」を考案した人物として知られている。陳建民は、東京・平河町に「四川飯店」を開店し、その味はかつて「料理の鉄人」というテレビ番組で、中華の鉄人として一躍、時の人となった陳建一、そして、その息子で現オーナーである陳建太郎へと三代にわたって引き継がれている。 そもそも、陳建民は、中国四川省の出身。若くして料理人を志し、中国各地のレストランを渡り歩いた。1952(昭和27)年に来日。その後、四川飯店を出店し、NHK「きょうの料理」の講師を務めるなど、日本に中国料理を広めた第一人者として知られる。 建民のように終戦後の1950年代、60年代に中国からやってきた華僑は「老華僑」と呼ばれる。同じく、横浜や神戸、長崎にある「中華街」を形成した人々も「老華僑」だ。彼らは帰化し、日本国籍を取得。中国系日本人として日本に根付いた。 こうした「老華僑」が持ち込んだ中国料理の総称が今の「中華料理」だ。彼らはいち早く、日本人の生活、慣習に溶け込むため、日本人の口に合った中国料理を次々と考案した。 しかし、現在の高田馬場のそれは「中華料理」ではない。そもそも、世界最大の人口を有する中国は、民族の坩堝だ。また、国土そのものが広大で、その土地によって全く異なる文化を有する中国は、数え切れない郷土料理が潜む、魅惑の食の大陸でもある。 例えば「華北」と呼ばれる「河北省」「山西省」「内モンゴル自治区」。大平原に暮らす遊牧騎馬民族の郷土料理は、小麦を主食とし、水餃子や饅頭など日本人にもよく知られている。一方の「華南」。南シナ海に面し、温暖な「広東省」「海南省」の主食は米。海で獲れた海産物を使った料理が並ぶ。 つまり、高田馬場に誕生しつつあるのは、中国の郷土食が色濃く反映された中国料理店、中国食堂なのだ。客の大半は中国人。日本人からすると、中国に旅行に行った時に食べる、現地の味だ。