感染症の文明史【第3部】地球環境問題と感染拡大 プロローグ:人類は犠牲者であり加害者でもある
感染防止よりも大切な儀式
エボラ出血熱の流行でも、地元の習慣が大きく関わっていた。2014年3月に西アフリカ一帯が巻き込まれたエボラ出血熱の大流行は、悲惨な症状で世界に衝撃を与えた。流行はギニア南部で始まり、2歳の男の子が「ゼロ号患者」、つまり震源だった。つづいて、その子の姉、母親、祖母が亡くなり、家族から親族、近隣住民へと感染が広がっていった。 国際医療援助団体の一員として現場にかけつけたフランス人医師から、当時の様子を聞くことができた。死者の葬儀に集まった近親者や親しい人たちが、遺体の全身をさすって最後のお別れをする習慣が、この地方にはあった。エボラ出血熱は発症者の血液、分泌物、吐瀉(としゃ)物、排泄(はいせつ)物などとの接触によって伝染する。葬儀を境に周辺の町にも一気に拡大したのは、この死者との接触が大きく関わっていたとみられている。医師らは、死者には絶対に触れないように繰り返し村人に説いたが、全く守られなかったという。この儀式は、彼らにとって感染防止よりも重要だったのだろう。
ダム開発が生んだ住血吸虫症
もうひとつ農業開発が感染症を拡大した例を紹介しよう。河川や湖沼で発生する住血吸虫症だ。熱帯の途上地域では、ダムや灌漑水路の普及とともにますます感染が広がっていった。エジプトでは1970年に完成したアスワン・ハイ・ダムが貯水を開始した直後から「ビルハルツ住血吸虫症」の爆発的な流行が始まった。寄生虫である住血吸虫はヒトと巻き貝を宿主とする生活史を営み、巻き貝から寄生虫の幼虫が放出され、ヒトが水に触れた際に皮膚から侵入する。 ダムの建設前は、ナイル川の定期的な氾濫で宿主となる巻き貝は洗い流されていた。だが、ダムによって洪水が制御され、潅漑用水路が広がるにつれてダム湖周辺にはよどんだ水域ができ、巻き貝がはびこるようになった。この結果、ナイル川流域の80~100%の住民が保虫者になった。WHOの推定では、エジプトだけでなく世界の78カ国で2億5000万人が感染して、合併症を含めて毎年2万人が死亡するという。こうした寄生虫がはびこる原因は、ダムや灌漑網の建設が少なからず影響を及ぼしている。 高度な灌漑網をつくり上げたメソポタミアやエジプトなどの初期の農耕社会では、すでに住血吸虫がはびこっていたようだ。約4000年前のパピルス文書にその記述があり、ツタンカーメン王のミイラの内臓からも住血吸虫の卵が見つかった。保虫者は慢性的な胃痛や胸痛、下痢、疲労感などを訴え、その卵がぼうこうや尿管の粘膜に集まるために尿路に障害が現れる。ナポレオンは1791年にエジプトに遠征したときに感染したらしく、尿道の激痛に悩まされていたと伝えられる。 日本では近縁の「日本住血吸虫」が水田稲作とともに弥生時代に大陸から持ち込まれ、甲府盆地、筑後川流域などの各地において農民の間で流行した。腹痛や下痢といった消化器に症状が現れるだけでなく、虫卵は血流に乗って運ばれ、肝臓と脳に炎症が起きて死に至ることもある。日本では2000年までに撲滅されたが、中国の長江流域などアジア各地ではまだ感染がつづいている。 私たちは感染症の犠牲者と信じてきたが、実は多くの場合、流行の原因をつくったのは私たち自身だ。つまり加害者でもある。本シリーズの第3部では、こうした感染症を引き起こしたヒト側の責任を追及していきたい。 (文中敬称略)
【Profile】
石 弘之 環境史・感染症史研究者。朝日新聞社・編集委員を経て、国連環境計画上級顧問、東京大学・北海道大学大学院教授、北京大学大学院招聘教授、ザンビア特命全権大使などを歴任。国連ボーマ賞、国連グローバル500賞、毎日出版文化賞などを受賞。主な著書に『名作の中の地球環境史』(岩波書店、2011年)、『環境再興史』(KADOKAWA、2019年)、『噴火と寒冷化の災害史』(同、2022年)など。『感染症の世界史』(同、2018年)はベストセラーになった。