感染症の文明史【第3部】地球環境問題と感染拡大 プロローグ:人類は犠牲者であり加害者でもある
漁網に化けた援助物資
エイズだけでない。マラリアは2020年に世界で毎年約62万人の命を奪ったが、そのうちの95%をアフリカ諸国が占めている。このため、日本など先進国はアフリカへの開発支援としてマラリア対策に力を入れており、その一助として殺虫剤を染みこませた蚊帳を配布してきた。媒介するハマダラカは、夕方から夜間に活動することから蚊帳の効果に期待が寄せられた。 ザンビアに勤務している時、北部のバングウェウル湿地を訪ねたことがある。岐阜県ほどの面積の巨大な湿地帯である。高台には漁村が点在し、軒先には漁網が干してあった。だが、よく見ると漁網ではなく蚊帳だった。 漁師たちは蚊帳を漁網代わりに漁をしていたのだ。その理由を漁民に尋ねると、「腹をすかした子どもは蚊帳じゃ腹いっぱいにはならない」という返事が返ってきた。 その後、モザンビークの海岸やマラウイ湖などでも、地元民が蚊帳を漁網として使っているのを目撃した。WHOは、「マラリアの死亡率を半減させたのは蚊帳の援助のおかげだ」と評価していることから一定の効果はあったのだろう。しかし、援助団体の間では、蚊帳は目が細かいので稚魚まで捕ってしまうことや、染みこませた殺虫剤が環境汚染を引き起こす可能性を危惧する声もある。 援助にはこうした見こみ違いがつき物だ。例えば、米国の民間支援団体がエイズ救済のためにアフリカ各地に拠点を設けたら、各国政府の公衆衛生の担当者が給与の高い支援団体に転職して政府から専門家が姿を消して、かえって対策が滞ったこともあった。
開発プロジェクトが呼び込むマラリア
大型の開発プロジェクトにも見込み違いがある。水力発電や灌漑(かんがい)に必要なダムは国の発展の起爆剤となるため、世界銀行などの支援で、アフリカ諸国では近年盛んに建設されている。しかし、熱帯地域で水の滞留域を作るのがいかに危険を伴うのか、米カリフォルニア大学の昆虫媒介感染症の専門家、ソロモン・キブレットらが警告する。 サハラ以南のアフリカでは、高さ15メートル以上の大型ダムから5キロ以内に住む人々は、2000 年には1440万人だったが、現在は2000万人を超える。ダムが完成して貯水が始まるや、周辺住民の間でマラリア感染者が急増することが、以前から「開発マラリア」として問題になってきた。水が滞留するダム湖は、マラリアを媒介するハマダラカ蚊のボウフラにとって絶好の繁殖場所になるからだ。 キブレットらがセネガルのダカールで行った調査では、ダムから160メートル以内の住民のマラリア発生率は74%であるのに対し、900メートル以上離れた住民のマラリア発生率はわずか17%だった。サハラ以南アフリカ全体では、2000年現在、1286の大型ダムがあり、ダム周辺に暮らす約900万人がマラリア感染の危険にさらされていると推定する。