そしてマツダだけが残った 誕生35周年を迎えた「ロードスター」とそれに挑んだモデルたち
35年前のライトウェイトオープンスポーツ市場
1989年に「ユーノス・ロードスター」(NA)、輸出名称「MX-5」(米国では「MX-5ミアータ」)がデビューしてから、今年で35年。35周年記念車の登場も確実視されている。 【写真】ロードスターに挑んでは敗れていったフォロワーをもっと見る(25枚) NAロードスターの誕生は日本のみならずワールドワイドな話題となり、発売と同時に世界中で大ヒット。初年度に4万5000台以上、2年目の1990年には9万5000台以上がつくられて早々に累計生産10万台を突破するという、スポーツカーとしては異例の成功作となったのだった。これには当事者のマツダも驚いたと思うが、つまりはマーケットがそれほどまでにリーズナブルなオープン2座のライトウェイトスポーツを渇望していたということだろう。ここで当時の状況を簡単に振り返ってみよう。 戦前から軽量級のオープン2座スポーツを得意としていたイギリスのMG。代表的なモデルだった1962年デビューの「MGB」は1980年に、ひと回り小さい「MGミジェット」はひと足早く1979年に生産終了しており、MGブランドの先行きも怪しくなっていた。 申し訳程度の+2シートが付いてはいたが、同類と考えていい1966年デビューの「フィアット124スポルト スパイダー」。「ピニンファリーナ・スパイダー ヨーロッパ」と名称を改めて継続生産されていたが、1985年に生産終了。着脱式トップを備え、オープンも楽しめるミドシップスポーツとして1972年に登場した「フィアットX1/9」も「ベルトーネX1/9」名義で生き残っていたが、NAロードスターと入れ替わるように1989年に生産終了した。 NAロードスターやこれまでに名を挙げたモデルよりやや大きく、性格的にもスポーツカーというよりパーソナルカーに近いが、唯一存在していたのは1966年デビューの「アルファ・ロメオ・スパイダー」(105系)。ちなみにこちらは1993年までつくられている。 というわけで、見るからに旧式な成り立ちながらも1960~1970年代からなんとか生き永らえていたオープン2座のライトウェイトスポーツがほぼ絶滅……。NAロードスターが誕生した1989年の市場は、そんな状況だったのである。