隆盛スマホゲーム その歴史と現実は?
では一体、それはどこから来たのか――。最初のゲームは、2010年9月にコナミが出した『ドラゴンコレクション』と言われている。しかし、そこで使われている手法のほとんどは、実は日本で独自発展を遂げた「アバターサービス」の世界において、既に長らく試みられていたものばかりだった。 アバターサービスとは、インターネット上に作り上げた「仮想空間」に、ユーザーがアバターと呼ばれる自分のキャラクターを所有して遊ぶサービスである。2000年代にこの分野の最大手であったNHN Japanのサービス「ハンゲーム」は、アバターを使ったゲームを基本無料でユーザーに提供し、アバターの使用する服や武器などのアイテムへの課金から収益を得ていた。高額課金のくじ引きで珍しいアイテムを揃えられる「コンプガチャ」や、二つのアイテムの合体によって新しいアイテムやアバターを作る「合成」などがあり、これを収益に結びつける手法の洗練が始まっていた。実際、DeNAとグリーもソーシャルゲームに本格参入する前に、「モバゲータウン」や「クリノッペ」などのアバターサービスを行っている。ハンゲームほどゲームとの結びつきは強くなかったが、これらの手法は決してグリーのような事業者が一夜にして全て発明したものではない。
当時、ハンゲームが現在のソーシャルゲームの原型となる手法から、どれほどの利益を得ていたかは公表されていない。しかし、グリーやDeNAのような日本の上場企業が、これを当時の携帯電話で本格的にゲームと結びつけて展開したとき、その収益性の高さはたちまちのうちに明らかになった。例えば、2010年末頃からグリーは自社開発ゲームのほとんどを「カード型」に切り変えて、アイドルグループTOKIOのCMが話題になった『ドリランド』などで一気に攻勢を仕掛けていく。その結果、時価総額は一時6000億円を超えた。 この「カード型」という強力なビジネスモデルの普及こそが、その後のソーシャルゲームの歴史を決定づけた要因である。当時は利益率が4割とも5割とも言われており、その利益率の高さに多くのネット事業者が目をつけた。当時はリーマンショックの影響で、それまでウェブビジネスを支えてきた広告収入が低下していく時期であった。そこで、彼らはこの「カード型」でソーシャルゲームに参加してきたのである。