小説と音楽と視覚芸術の融合 初期作品を収めた冒険的な短篇集(レビュー)
モダニズム文学を代表する作家の画期的な新訳が刊行された。 初期の八篇を収めたこの短篇集は、『灯台へ』や『ダロウェイ夫人』に比べると知名度は下がるかもしれないが、ウルフならではの技法や手法が導入され、作家の小説観を一変させた極めて重要な作品集と言える。 リアリズム小説『船出』と『夜と昼』につづいて刊行された本書を開いた読者は、きっと前作との違いに驚いたことだろう。『月曜か火曜』は、いまの目で見ても冒険に満ちた短篇集だ。ウルフが目指したのは、小説と音楽と視覚芸術の紙面の上での融合ということだった。 『灯台へ』には、画家を目指すリリーという若い女性が、自分の絵に対してこのように思う場面がある。 「絵はカンバスの面では、美しく鮮やかで、羽毛のようにふんわりはかなげで、蝶の翅のごとく軽やかに色が融けあっているべし。しかしカンバスの下では、鉄のボルトで留めあわせたような、そういう堅固な構図でなくてはいけない。吹けば波立つようにはかなげでありながら、馬が二頭がかりで曳いてもびくともしないようであるべし」 この創作哲学は『月曜か火曜』にもそのまま当てはまる。「弦楽四重奏」という篇では、モーツァルトの弦楽四重奏の鑑賞者の思念や、周囲の会話、そうした断片のなかに音がイメージ化されて流れこむ。 また、実験的なこの作品集のなかでも本人が「自由の奔流」と称したのは表題作と「青と緑」という篇だ。「青と緑」は、カットガラスの尖った指先から滴のように滑り落ちてくる緑の光とその変容を描きだす美しいスケッチであり、物語性は排されている。「月曜か火曜」は難解に見えるが、鳥、空、炎の「目」を持って読むと鮮やかな光景が豁(かつ)然(ぜん)とひらける、そんな作品だ。片山訳で読んでこそ理解できた。 これらは小説と称されているが、その実は詩なのである。 [レビュアー]鴻巣友季子(翻訳家、エッセイスト) 協力:新潮社 新潮社 週刊新潮 Book Bang編集部 新潮社
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