元巨人広報が見た清原和博の苦悩 「好きなチームに入ったのに、どれだけ窮屈さを感じていたか...」
── 選手で言えば、清原和博さんがFAで入団したときも香坂さんが窓口となり、仕切っていたんですね。 香坂 長い歴史があるなかで、巨人というチームはこれまで多くの選手が入りたい、入って活躍したいと思うチームだと思うんです。結果、夢が実現した選手もいれば、叶わなかった選手もいる。そうした大勢のなかで、おそらく巨人に対する想いがもっとも強かったのが、清原だったと思うんです。そしてFAという形で夢を実現させた。ところが、一番好きなチームなのに、一番苦労もする場所に入って来ちゃったのではないか......(笑)。そんな風に感じましたね。どれだけ窮屈さを感じていたか、僕は心配しました。もっと自分の思いどおりに自由にやりたかったのだろうけど。でも、それが巨人というところだったからね。 ── 文字どおり、皮肉な運命というか。 香坂 そのひとつがマスコミ対応です。活躍はしたけど、メディアにはあまりしゃべりたくないっていうのは、通用しないチームなんでね......。ある時、キヨが丁寧すぎるほどちゃんと記者の囲みに応対している姿を見た時、こう言ったことがあるんですよ。「キヨ、大変か?」って。そしたら少し笑って「修業だと思ってます」って返してきたんです。えっ?と驚いたけど、憎いこというなぁと(苦笑)。彼なりに精一杯やっているんだと思うと、あの怖い顔でもなんとか応援したくなった。大変なことはいっぱいあったと思いますが、やっぱり巨人に入るべき人間だったと思いますね。松井秀喜とはまったく対照的なタイプでしたが......。 後編につづく>> 香坂英典(こうさか・ひでのり)/1957年10月19日、埼玉県生まれ。川越工業高から中央大を経て、79年ドラフト外で巨人に入団。4年目の83年にプロ初勝利を挙げるも、翌年現役を引退。引退後は打撃投手をはじめ、スコアラー、広報、プロスカウトなどを歴任。2020年に巨人を退団し、21年秋からクラブチームの全府中野球倶楽部でコーチを務めている
木村公一●文 text by Kimura Koichi