完璧だった母が認知症になり、90代半ばで家事を始めた父「これからはわしが、おっ母に恩返しする番じゃ」
◆家事を肩代わりし始めた父の姿 母を尊敬していたからこそ、認知症になった時は大ショックでした。「何でこんなこともできんようになったの」「情けなくて見とられんわ」母の異変をなかなか認められず、「しっかりしてやお母さん」と思わず責めてしまったことも数知れず。 そんな時です。茫然自失の状態から抜けきれない私を尻目に、気づくと父が少しずつ、家事を肩代わりし始めていたのです。 母に代わって買い物に行く。たまった洗濯物を洗い始める。ゴミをきちんと分別して出しに行く。遂(つい)には母の裁縫箱を取り出して、代わりに繕(つくろ)い物までし始めました。 「えーお父さん、こんなこともできるん? すごいね!」 驚く私に照れくさそうな父でしたが、続いて言った言葉が忘れられません。 「これまで、わしが何もせんでもひとつも困らんかったのは、おっ母がみなしてくれよったけんじゃのう。こうなって初めて、いかにおっ母に世話になりよったかが身にしみてわかったわ。これからはわしが、おっ母に恩返しする番じゃ」
◆母からの大切な贈り物 この言葉から7年間、父は母を支え続けました。今度は父がお風呂を沸(わ)かし、母を入浴させ、着替えを用意したのです。時にはおもらしした母を着替えさせ、汚れた下着を洗うこともありましたが、それでもやさしくお世話していました。根底に「わしをこれまで支えてくれてありがとね」という感謝があったからこそだと思います。 「何もできない」といささか見くびっていた父が、実はこんなに愛に溢れた「イイ男」だったとは……。この発見は、娘の私にとっても贈り物となりました。 認知症は確かに、本人にも家族にも辛い病気ではあります。でも見方を変えれば、今まで気づかなかった大切なことに気づかせてもらえる、得難い体験にもなるのではないでしょうか。 母が認知症にならなければ、私が父にちゃんと目を向けることもなかった。そしたら当然、父の愛らしい笑顔を写真に収めようと思ったり、父のつぶやく素敵な言葉に心を震わせたりすることもなかった……。 そう思うと『あの世でも仲良う暮らそうや』も、大好きだった母の認知症がくれた、大切な贈り物のひとつだと言えそうです。 ※本稿は、『あの世でも仲良う暮らそうや 104歳になる父がくれた人生のヒント』(文藝春秋)の一部を再編集したものです。
信友直子
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