ジョブズが成長した瞬間。ピクサー共同創業者が語る「Apple追放から復帰、iPhone発売までの変化」
ある話によると、スティーブ・ジョブズは一緒に働きやすい上司ではなかったようです。 彼は気分屋で、要求が厳しく、怒りを爆発しやすいことで有名でした。そして、その怒りは大抵の場合、彼の求める完璧さに達しなかった人に向けられたものでした。 そのような話は、本や映画では面白い題材になりますが、実際の話は当然ながらもっと複雑です。
Appleを追い出された経験がジョブズをどう変えたか?
多くの創業者兼CEOと同様に、ジョブズが非常に厳しかったのは確かでしょう。 しかし、彼をよく知る人たちによれば、彼のリーダーシップは時間とともに成長し、映画では必ずしも描かれていない側面もあるそうです。 ピクサーの共同創業者であるエド・キャットマルは、ジョブズのもとで長年働いた人物の一人。 キャットマルはもともと1979年にジョージ・ルーカスに雇われ、ルーカスフィルムのコンピューター部門の責任者となりました。 1986年にジョブズがこの部門をルーカスから買収し、ピクサーに。その後20年間、キャットマルはジョブズと密接に協力し、2006年にジョブズがピクサーをディズニーに売却するまで、ともに働きました。 ピクサーの物語は、映画制作の伝説そのものです。同スタジオは、間違いなく史上もっとも成功したアニメーションスタジオとなり、もしかしたらディズニー以上の成功を収めたのかもしれません。 ジョブズが世間で言われているような厳しい上司だったかどうかは別として、彼の成功に異論の余地はないはずです。 また、彼をもっともよく知っている人の意見に反論するのも難しいでしょう。数年前のインタビューで、キャットマルはジョブズとの仕事の様子についてこう語っています。 私は彼の人生の変遷を見続けました。ジョブズはまさに、典型的な「英雄の旅」を歩みました。 彼の若いころの行動は、あまり良いものではありませんでした。それは広く知られていてよく話題にも上りますが、これにはある種セクシーで刺激的な悪い奴というようなイメージもあります。 そのため、彼について映画や本を書くときには、人々はその部分に焦点を当てたがるのです。 しかしキャットマルは、ジョブズがAppleから追い出された経験が、彼の人々やリーダーシップに対する考え方をどのように変えたかを説明しています。 キャットマルはこう語りました。 そこにいたのは失敗から学んだ人物でした。彼は成長し、Appleに戻ったとき、変化したジョブズとなっていました。 そのジョブズがすばらしいAppleをつくり上げたのです。変化したジョブズは、本や映画で描かれているような人物ではありませんでした…。 そして1990年代初頭に、彼は大きく変化し、彼と一緒にいたすべての人が、彼の人生の終わりまでともに歩み続けました。