「高倉は風になった」 没後10年の高倉健、養女の小田貴月さんが語る晩年とこれから
高倉健が83歳で亡くなって今月10日で10年が過ぎた。現在、映画館やテレビ放送で、この不世出の映画スターをしのぶ、さまざまな企画が組まれている。最後の17年間を養女としてともに過ごした小田貴月(たか)さん(60)が、没後10年の歳月を振り返り、「高倉は風になった」と語った。 【写真】「高倉健は風になった」と語る養女、小田貴月さん ■健さんの〝宿題〟 「あのとき自分も一緒に死んじゃったみたいでした。この10年で、ようやく自分を取り戻しました」 小田さんは、平成9年から健さんと暮らした。その日々は著書「高倉健、その愛。」と「高倉健、最後の季節(とき)。」に詳しく記した。「僕のこと、書き残してね」と生前の健さんから出された〝宿題〟だった。 2人の最後の10カ月は、健さんの悪性リンパ腫との闘いに明け暮れた。寝汗がひどかった。寝間着はすぐにぬれ、何度もの着替えが必要だった。小田さんは、ほとんど眠れなかった。 健さんを見送った後も、眠れないままだった。 「悲しかった。目が覚めても、そこに高倉はもういないのに」 「もう眠ってもいいのだ」と思えたのは、やっと5年前。そこで、著書に着手するなど健さんの宿題に応え始めた。 「今もずっと一緒にいるという感覚」。だが、時々泣くのだと明かす。 雨が降ると庭に出て、お気に入りの和傘に当たる雨音に耳をそばだてた健さんの姿が忘れられない。 今、小田さんは雨が降るとジャズのキース・ジャレットによる静かで美しいピアノソロ演奏「マイ・ワイルド・アイリッシュ・ローズ」を聴いて泣く。 くしくも病気で一時休養したジャレットが、妻の献身的な看病に感謝し復帰後の1998年に録音した曲だ。 「この演奏を聴くと必ず涙が出る。ある種のデトックス。そうやって乗り越えてきました」 ■何度でも立ち上がる 「何も後悔はない。世界で一人、高倉健をみとれた。充実感がある。こうして生かされ、私にも何か役目があるのでは」 健さんの著作権などを管理する高倉プロモーションの社長を務めている。
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