ベテラン看護師が語る…意識のない夫を「諦めきれなかった」妻がすがった延命治療と、最愛の人を「後悔なしで見送る」ために「必要なモノ」
その後の茂雄さん
さて、茂雄さんのその後である。 病院で脈が落ち着き、再び自宅に帰ってきたというが、ゴタゴタは続いた。 「奧さんからは『もう安定しているから、また夫をお風呂に入れて欲しい』と連絡が入りましたが、入浴によって呼吸停止が起きている以上、死ぬリスクはとても高い。奧さんに『入浴中に旅立っても仕方がない』と受け入れて貰えるのだったら私も覚悟を決めますが、奧さんに夫の死の覚悟がない以上、難しい依頼です。引き受けてあげたかったのですが、リスクを考え、断腸の思いで断りました」 それからの茂雄さんは、「なんとか生きて欲しい」という妻が調べてきた、効果不明の多種多様な民間療法を行いながら、何度も呼吸が止まり、そのたびに蘇生で戻ってくることを繰り返した末の数ヵ月後、息を引き取ったという。 「茂雄さんの晩年は生きているというより、生かされている状態に思えてずっと気になっていました。でも亡くなられた後、『お風呂に入れてから旅立させてあげたい』と改めて湯灌の依頼があり、お伺いしたところ、とても穏やかな表情で旅立たれていたので、ほっとしました」
人生をうまく卒業した人の共通点とは
死ほど理不尽なものはない。最愛の人を失うときはなおさらだ。「救急車を呼んではいけない」「延命治療はしないほうがいい」と理屈ではわかっていても、後悔しない行動がとれるかといえば別問題である。 死と死期の研究の先駆者、エリザベス・キューブラー・ロス氏によれば、死期を目前に控えた人は多くの場合、一般的に次の5つの感情的段階を経験するという。 「キューブラー・ロス氏は、まずは『病気になるはずがない』という死の運命を『否認』するところからはじまり、その死を否定できず『なんで自分だけ』という『怒り』がわいてくる。 そして死から逃れるために手術するなど、何かにすがって『取引』するようになり、それでも死から逃れられない事で『抑うつ』となる。そうやって『否認』『怒り』『取引』『抑うつ』を繰り返し行ったり来たりしながら、第5段階の、死を受け入れ、心に安らぎが訪れる『受容』にたどり着くと結論づけています。 私は訪問入浴などを通して、数千人の最期に触れましたが、人生をうまく卒業したと思える方というのは、患者本人も、その介護者も、そろって第5段階の『受容』にたどり着いているように感じました」
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