超スラッガーの肖像 「12+1」球団別“最強四番”は?【パ・リーグ編】
ロッテ・落合博満 ロッテ時代は優勝と無縁の三冠王
【球団在籍時成績】8年=849試合、954安打、242本塁打、659打点、打率.332 三冠王を3度獲得したのはNPB史上唯一で、いずれもロッテ時代。1985、86年の「2年連続50本塁打」もほかにアレックス・カブレラ(西武)しか達成していない。ロッテ時代の落合博満こそ最強の四番だったと評する人は、今でも多い。落合にとって不運だったのは、打者としての全盛期が西武ライオンズの黄金時代と重なり、いくら打っても投手力で劣るロッテではリーグ優勝を経験できなかったこと。それでも影響力は大きく、一軍に定着した80年から86年までの7年間でロッテは4回Aクラスになったが、落合を放出した翌87年からの7年間では5位3回、最下位4回と暗黒時代に。ロッテは落合の大きな穴を埋められず、長期低迷を余儀なくされた。
阪急・ブーマー 剛と柔を併せ持つ最強助っ人
【球団在籍時成績】9年=1019試合、1276安打、251本塁打、804打点、打率.323 ※オリックス・ブレーブス、オリックス・ブルーウェーブにも在籍 本名は『グレゴリー・デウェイン・ウェルズ』も“ブームを呼ぶ男”として登録名を『ブーマー』に。1983年に来日し、2年目の84年には打率.355、37本塁打、130打点と外国人初の三冠王に輝き、阪急最後のリーグ優勝に貢献した。打球飛距離は群を抜いていた一方で優れた選球眼を兼ね備え、柔らかいスイングで軽打することも。本塁打王は三冠王を獲得した84年のみだが、87、89年に打点王、89年に首位打者のタイトルが、単なる長距離打者ではないことを物語る。身長200cm、体重100kgの巨体から強烈な打球を放って登録名の由来のとおり日本プロ野球界を席巻。日本10年間で猛打を振るい、通算打率.317、1413安打、277本塁打、901打点は“最強”の称号にふさわしい。
西武・清原和博 チームに勝利を運ぶ無冠の帝王
【球団在籍時成績】11年=1403試合、1353安打、329本塁打、915打点、打率.277 初の四番は1986年10月7日ロッテ戦。高卒新人の背番号3は6回、川崎球場左翼ポール際に31号、59年桑田武(大洋)に並ぶ新人最多本塁打記録を放った。同年、第8戦まで突入した広島との日本シリーズでは全試合に四番として出場。しかも1戦目に自打球を左足に当て親指を亀裂骨折しながらフル出場で打率.355をマークして日本一に貢献した。その後も黄金時代の四番として君臨。在籍11年間で打撃3部門のタイトルを獲得できなかったが、その批判に対して森祇晶監督は「それは清原がどれだけチームの勝利を優先した打撃をしてくれたことを知らん人。状況に応じて右打ちもしてくれ、本当に助けられた」と反論した。チームに勝利を運ぶ最高の四番だった。