トヨタ車の“信頼性”なぜ高い? 新車販売台数でトップな「自動車メーカー」の“起源”を「産業技術記念館」と「国内初の乗用車専門工場」で知る
苦難の末たどり着いた“量産車”
繊維機械館を抜けると、いよいよ自動車館が見えてきます。一番最初に目に入るのは、自転車に取り付けて使用する「スミス・モーター・ホイール」を参考にした小型ガソリンエンジンの試作風景です。トヨタも、ホンダ等と同様、今で言う自動二輪車のようなものからエンジンづくりに挑戦したことがわかります。 ここでは、トヨタ自動車の起源である豊田自動織機製作所の自動車部開設当時のことが描かれています。中には、自動車づくりの参考のために1933年式のシボレー車を分解調査したことも解説されており、彼のトヨタも最初は“見様見真似”で自動車づくりに挑戦していった様子が見られます。
順路を進んでいくと、当時の“材料試験室”を再現したコーナーに当たります。トヨタ自動車の創業者、豊田喜一郎氏は自動車の生産を始めるにあたり、材料に関する問題を最も重要視していたといいますが、当時の日本の製鋼業界には自動車用鉄鋼材料を安定して作ることは出来なかったため、自身で材料から研究していったようです。 ここでわかるのは、当時の自動車開発は本当に手探りで進められていたということです。どのような材料を使えばいいのかすらわからないとなると、国産の量産車を作るその道程がいかに途方も無いものであったかがうかがい知れます。 さらに歩みを進めると、トヨタが最初に量産を行った「G1型トラック」の誕生や、販売体制の構築、最初の量産乗用車「AA型」に関する展示が行われています。 ようやっとメーカーの形をなしてきたトヨタ自動車が、どのような展開を行ってきたのかが見られます。 このコーナーを抜けると、戦時下に行ってきた航空機やガソリンに代わる代替燃料の研究など、当時の先進的な研究や、戦後行ってきたミシンやプレコン住宅といった、自動車以外の新規事業の研究といった、トヨタがその後の可能性を模索してきた布石が見られます。 これより後の展示は、1955年(昭和30年)発売の初代「トヨペット クラウン」から、燃料電池車「ミライ」まで、時代を見据えた車両開発がどのように行われてきたのかということが描かれています。 このほか、自動車に関する国産技術や、生産技術の進化などがわかるコーナーが用意されており、トヨタ車を事例として自動車が誕生してから現在までどのような進化を遂げたのか学ぶことが出来ます。 現在は世界の新車販売台数でどのメーカーをも凌ぎ、盤石とも思えるトヨタも、ここまで来るのに、数多くの苦難を乗り越えて、“改善”と挑戦を続けてきたことが感じられました。 ※ ※ ※ トヨタ産業技術記念館の館長、大洞和彦氏は、同記念館について、以下のようにコメントしています。 「コロナ禍等で先の見えない今だからこそ、当館の原点を尊重しつつ、新しいミッションに挑戦したいと考えています。 それは、『技術の変革と産業の発展が未来を築く』ことを館全体で表現し、『モノづくりの歴史から未来を展望する学びの館』として、持続可能な社会づくりへの貢献を目指す、というものです。 壮大なミッションですが、トヨタグループ発祥の地で博物館を構える私たちには、それを成し遂げるべき使命があると信じます」 現状でも学びたっぷりなトヨタ産業技術記念館が、今後どのような変化を見せるのか注目です。